携帯機種変更

 携帯電話の機種変更をした。今回で3台目だ。ムーバからFOMAへの機種変更。
 ムーバは5年間ほど使った。そのムーバが壊れたわけではない。充分まだ使える。使い慣れているし、ムーバの持っている機能で満足していた。だから、本当は機種変更は気が進まなかった。
 しかし、毎月の基本料金がFOMAに替えた方が半額近くになることを知り、機種変更をすることにした。古い機種の方が基本料金が高いというのは納得がいかないのだが、機種変更を促進しようとしている携帯電話会社の思惑があるのだからどうしようもない。しかも、妻や娘はすでにFOMAに機種変更しているので、私がFOMAに機種変更すれば、家族内通話が無料になる。
 そんな訳でFOMAに仕方なく機種変更した。
 FOMAにしたら、携帯電話が益々多機能になった。音声通話は周囲の雑音をカットしクリアーに聞こえるようになっている。メールはデコメールもできる。写真は320万画素。静止画像だけでなく、動画も撮ることができる。また、ワンセグ放送に対応しているのでTVも観ることができる。その他にも様々な機能が付いている。
 しかし、これらの機能を全部使いこなすことはほとんどないだろう。基本的には音声通話とメールができれば充分だと思っている。
 それにしても、携帯電話の普及は、人々の生活を大きく変えてしまったなあとしみじみと思う。確かに便利で、必要不可欠なものになっているのは事実だが、その弊害も多々あることも事実だ。それを知りながら、うまく使っていくことが大切だと改めて思う。

富士見台高原

 実家に帰省した折、富士見台高原に登った。
 富士見台高原は、実家の近くにある高原だ。中央アルプスの南端に近い所にある。これまでに2回登ったことがある。1回目は中学生の時の野外活動で、2回目は高校生の時の仲間と登った。その時は、園原という場所から山道を3・4時間歩いて登った。今回は、ゴンドラやマイクロバスを利用したので、歩いたのは1時間ほどだ。
 12日の朝、弟に車で、園原にあるゴンドラ乗り場まで送ってもらった。ゴンドラは「ヘブンス園原」という場所まで通じている。
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 「ヘブンス園原」は、冬季はスキー場になっている所だ。春から秋にかけては、家族で楽しめる娯楽施設がいくつかある。そこに着いたら、お花畑が広がっていて綺麗だった。

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 「ヘブンス園原」にあるリフトを2本乗り継いで展望台まで行った。そこから富士見台高原に向かうマイクロバスが出ていた。お盆の時期で観光客が多かった。
 マイクロバスに乗り山道を20分ほど行くと、富士見台高原の8合目あたりに到着した。そこから山頂まで、山道を歩いて登った。
 富士見台高原は山肌のほとんどが笹で覆われている。その山肌を時折、霧がなでるように流れていて、別世界に来たような雰囲気がある。
 30分ほど登ると山頂に着いた。そこで食べたおにぎりが無性に美味しかった。

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デラシネ(根なし草)

 もうじきお盆がやって来る。今年も9日から15日まで、実家のある信州に帰省することにしている。
 私が実家を離れてから(大学入学の時から)かれこれ40年が経つが、お盆の帰省は欠かしたことがない。時々、どうして毎年、帰省するのかなあと思ったりする。やはりそこが、私にとって故郷だからなのだろう。
 昔、私の結婚式の披露宴で、叔父が「お前は、故郷を捨てて京都で生活しているのではない。故郷を常に背負って生活しているのだ」という内容の祝辞を言ってくれたのを覚えている。そういう意味では、私の心の中には故郷があるのであろう。
 また、現在、私の実家では、母が一人で生活している。その母の元に、親孝行の意味あいも込めて帰るのは、それなりに意味深いことだと思っている。そのことを考えると、私には帰る故郷があると言えるのかもしれない。
 しかし、何年か後、やがては母が亡くなったりする事態が訪れるであろう。その時には、私の心の中にある故郷がフェードアウトするように消えてゆくような気がする。実家は弟の家族が継いでいってくれることになってはいるが、世代が替わったりしたら、もはやそこは私にとって故郷ではないように思う。
 故郷の友とて同じだ。中学や高校の同級会や同窓会の案内状が時々届いたりすることがあるが、わずかな思い出の中だけに故郷の友がいるのであって、現実の友は、もはや友ではなくなっているような気がする。
 当たり前かもしれない。40年近く故郷を離れて生活しているのだから、故郷は私の思い出の中だけにしかないのだろう。もはや故郷で根をはって生きる生活者とは大きく違ってしまっているように思う。
 
 では、翻って考えてみよう。今の生活の場である京都において、私は京都人になりえているだろうか?京都に住んで30年以上も経つが、未だに京都人になりきれていないなあと思うことの方が多い。
 話す言葉はずいぶんと京都弁に近くはなっているが、アクセントは昔のままで、おかしな京都弁しか話すことができない。
 生活習慣においても知らないことの方が多い。妻は京都生まれの京都育ちなのでよく知っているなあとは思う。しかし私は、無理をしてまで京都の生活習慣を身に付けようとは思っていない。我流の生活習慣を押し通している。
 京都でよく言われることだが、京都の地に3世代住まないと京都人とは言えないらしい。所詮私は、京の都に上った田舎者に過ぎないのだろう。これまでに何回、「どうして京都に来たの?」と、聞かれたことだろうか!京都に長く住みながらも、私は未だに異邦人のような感覚を覚えることが多い。

 そんなことをあれこれ思ったりしていると、私の生き方は、デラシネ(根なし草)のようだなあと思ったりする昨今だ。
 その思いを無視するかのように時間だけが留まることを知らずに流れてゆく。

ポーチュラカ

画像 暑い日が続いている。京都は盆地の地形の影響なのか、日中の気温がどんどん上がって、今日も35度を越える猛暑日になりそうだ。
 そんな暑い気候の中で、我が家の玄関には、ポーチュラカが鮮やかな花をたくさん咲かせている。
 ポーチュラカはスベリヒユ科の花で、別名ハナスベリヒユとも呼ばれている。乾燥や暑さに強いのが特徴。
 我が家では、夏場にはこの花を毎年育てている。少々水やりを忘れても枯れることなく元気に育つからだ。
 この花はスベリヒユ科に属しているだけあって、雑草のスベリヒユと葉や茎の形状がそっくりだ。
 スベリヒユは夏の雑草の代表的なものだ。生命力が強く、草かきをしても茎の一部が土中に残っていればそこから根をはって生長していくので、農民泣かせの雑草だ。
 この間、実家で一人暮らしをしている母のところに電話をしたら、朝早く起きて、敷地内の畑に生えたスベリヒユなどの雑草と格闘して畑をきれいにしたと嬉しそうに話していた。草かきよりも自分の身体を労わる方が大事だと話すのだが、染み付いた農民の性分で止められないようだ。もうじき80歳になる母。介護サービスを受けながらなんとか一人暮らしをしているようだが、とりわけ暑い今年の夏を無事乗り切ってくれるだろうか。
 ポーチュラカを見ていて、ふと思うことがある。最近の自分は、病気がちでナーバスになっていて、ポーチュラカのようなたくましい生命力が失われてきているなあと・・・。

小さな癒しの空間

私が退職してからずいぶんと歳月が流れたような気がする。平凡でこれといった大きな変化のない日々が続く。たぶんそれを幸せと思わなければいけないのだろう。いつかはそれに終止符がうたれる時が来るのだから・・・。
日本の社会は、じわりじわりと腐っていっているような出来事が続く。落ちるところまで落ちないとだめなのかもしれない。今の私には、その社会に働きかけ変えていこうとする意欲も希薄だし、力もあるとも思えない。
そんな心境の私にとって、我が家の庭は、小さな癒しの空間だ。
今年も紫陽花がたくさん咲いた。日々、微妙に変化する色彩を楽しんで過ごす。紫陽花が静かに今の私を見つめているような気がする。「紫陽花いろのもののふるなり・・・」という一節のある三好達治の詩、「乳母車」を思い出す。

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サボテンの花も咲いた。棘だらけのサボテンの何処に、このような綺麗な花を咲かせる生命力が潜んでいるのだろうといつも不思議に思う。
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百合の花も咲いている。実家の母が佐渡島に旅行した時買ってきた苗を分けてもらったものだ。たぶんイワユリだと思うが、自生しているイワユリはオレンジ色をしているから、品種改良されたものだろう。
百合といえば、バルザックの小説『谷間の百合』を思い浮かべる。その小説を読み耽っていた背伸びした感じのする高校生の頃が懐かしく思える。と同時に、あまりにもうぶで世間を知らない青春時代を過ごしていたなあとも思ったりもする。
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上高地・松本への旅

画像2日から6日にかけて、妻と二人で、上高地・松本方面へ旅をした。宿泊を伴う妻との旅行は、本当に久しぶりだ。
2日の朝、京都駅から新幹線に乗り、名古屋駅で特急しなのに乗り継ぎ、松本駅で途中下車し、昼食をとった。ざるそば定食。その後、松本電鉄上高地線に乗車し、終点の新島々駅で下車した。そこから上高地行きのバスに1時間ほど乗った。山道とトンネルが続き、少々車酔いをした。バスが上高地に着いたと思われる頃、バスの乗客の一人が歓喜の拍手をした。バスの前方に雪をかぶった雄大な穂高連峰が見えたからだった。
帝国ホテル前で下車し、宿泊する上高地清水屋ホテルまで歩いた。このホテルは、かけ流しの温泉があることと、かつて高村光太郎などの文化人が好んだ宿であることから選んだ。部屋の窓からは梓川の清流が臨めた。それを眺めていたら、上高地に来たんだ!という実感が湧いてきた。
画像翌日の天気が雨との予報だったので、3時過ぎではあったが、すぐ上高地の散策に出かけた。田代橋から梓川に沿って河童橋まで歩くコースを選んだ。河童橋に向かう歩道の左手すぐ傍を梓川が流れていた。水の碧さと流れの速さにびっくりした。梓川の背後には、急峻な明神岳が聳え立っているのが見えた。歩道の右手にはカラマツ林が続いていた。足元には、ラショウモンカズラやアマドコロなどの花々が咲いていた。
30分ほど歩いたら河童橋に着いた。ここからの眺めがガイドブックによく載っているだけあって最高だった。河童橋の背後に雪渓の残った雄大な穂高連峰が広がり別世界に来たような感じがした。ここで何枚も記念写真を撮った。
画像ホテルの夕食はフランス料理だった。ワインを飲みながら岩魚のムニエルなどを食べた。食後しばらくしてから温泉に入った。泊り客の数は少なく、ほぼ貸切状態だった。温めの露天風呂に長いこと浸かりながら、自分の歩んで来た人生の事をぼんやりと思い浮かべていた。
翌日は朝から雨だった。チェックアウトを済ませる10時頃には小降りになったので、ホテルの傘を借り、大正池に向かうコースを散策することにした。片道40分ほどのコースだ。雨にもかかわらず散策する観光客は意外と多かった。驚いたことにアジア系の外国人観光客がたくさんいた。
大正池は、大正4年の焼岳の噴火によって梓川が塞き止められできたものだ。池の中に枯れ木が立っていて印象的な感じがする。池のすぐ後ろには、焼岳が聳え立っている。画像あいにくの雨で山頂までは見えなかったが、大自然の驚異を感じさせる風景だった。
大正池からの帰りは林間コースを歩きホテルまで戻った。荷物を受け取り、バスターミナルまで歩いた。夕方、松本に着き、浅間温泉に宿泊した。
4日は、松本市内を散策した。懐かしい信大やその寮にも行った。歳月の流れを感じずにはいられなかった。また、松本城や旧開智校なども見学した。夕方、私の実家に向かうバスに乗った。
5日は実家でゆっくりと過ごし、6日の夕方、京都に帰った。
今回の旅の後、けだるい疲れが残った。若かりし頃、2週間ほどの一人旅を何度もしたが、あの頃のようなバイタリティーはもうないなあとつくづく思ったりもした。

万博記念公園

万博公園(万国博記念公園)でポピーフェアをやっているとパンフレットに載っていたので、1日、妻と二人で行って来た。
万博公園は、万国博の跡地にできた広大な公園だ。ここには、勤めている時、遠足で子供達を連れて何回も来たことがある。しかし、個人的には、これまでに2回ほどしか来たことがない。
阪急電車の南茨木駅でモノレールに乗り換え、万博記念公園駅で下車。中央口から入園した。中央口のすぐそばには、万国博のシンボルになっていた巨大な太陽の塔がそびえ立っている。「芸術は爆発だ!」という言葉で有名な岡本太郎の作品だ。私には未だにこの作品の良さが理解できないが、巨大なモニュメントになっていることだけは理解できる。

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昼食をとった後、自然文化園のエリアから見て歩いた。
「チューリップの花園」があった。やや時期を過ぎていたが、たくさんのチューリップが咲いていた。チューリップは群生していると綺麗に見える花だなあと思った。

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「観察の森」の中にあるソラード(空中観察路)を歩いた。鳥の視線で万博公園を見渡せる場所だ。新緑が美しかった。
ソラードの出口にある「遠見の丘」に上った。遠くにエキスポランドの観覧車や太陽の塔が見えた。

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「花の丘」に行く。丘全体にポピーの花が咲いていた。ポピーはヒナゲシの園芸上の通称だ。私も妻も、このヒナゲシが好きだ。若かりし頃、アグネス・チャンの「ひなげしの花」が気に入って何度も歌っていたことを思い出した。ちなみに妻は今でもアグネス・チャンの大ファンだ。

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自然文化園の中には、芝桜も綺麗に咲いていた。まるで花の絨毯だ。

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最後に、日本庭園のエリアに行った。ツツジの花が庭園の景色のアクセントになっていた。
もう歩き疲れてしまっていて、全部を見て回ることができなかった。

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今回は行かなかったが、万博公園内にある国立民俗学博物館は、1回は行ってみる価値のある所だ。

キリシマツツジ

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25日、今年も長岡天神へキリシマツツジを見に行って来た。もう1年が経ったのかという思いがする。光陰矢の如しだなあという思いを抱きながらキリシマツツジを観賞した。
キリシマツツジは既に満開だった。長岡天神の参道が真っ赤に燃えているかのように咲いていた。
我が家の庭にもキリシマツツジが植えてあるが、今年は花数が少なかった。しかし、長岡天神のキリシマツツジは毎年びっしりと花をつける。手入れの仕方にコツがあるのかもしれない。剪定の時期かな?それとも追肥のやり方かな?

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神戸・異人館街散策

21日、所用で神戸に出かけた。そのついでに、異人館街を散策した。
異人館街は、日米修好通商条約により神戸港が開港されたのにともない、外国人居留地として造られた。外国人技師により設計された西洋商館が集まっている一帯だ。
まず、有名なうろこの家に行った。大震災で一部が壊れたと聞いていたが、綺麗に修復されていた。
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うろこの家からは、神戸市街を眺望することができた。遠くから眺める限りでは、大震災の爪跡は全く感じられなかった。よくここまで復興したものだ。
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うろこの家の内部は、アンチークな調度品が並べられていて、なるほど外国人の家だなあと感じられた。
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異人館街を散策し、最後に、風見鶏の館に立ち寄った。建物の屋根に風見鶏があるので、そう呼ばれている館だ。
その前のベンチに座り、歩き疲れた足を休めた。
屋根の上の風見鶏をぼんやりと眺めているうちに、ふと、「風見鶏通信」というミニコミ誌を発行していたT氏のことを思い出した。私も何回か寄稿させてもらったことがある。あの頃は、まだ社会変革への情熱の残り火のようなものがあったような気がした。
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しばらく休んだ後、北野坂を下り、帰路についた。神戸は本当に坂の多い街だなあと思った。
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サクラソウ開花

今年もサクラソウが開花した。今日の小さな喜びの一つだ。まだ寒い時期に頑張って植え替えをしたせいか、今年は特にたくさんの花が咲いた。可憐という言葉がよく似合う花だ。しばしサクラソウをぼんやりと眺めながら、生きることに気弱になっている我が心を癒した。
サクラソウだけではない。花は、季節が巡って来ると、忘れずに芽を出し、花開く。そして、人に見てもらうことを期待するわけでもなく、ただただ精一杯咲き、やがて散ってゆく。その姿にいつも心を洗われる思いがする。
相田みつをの詩の一節を思い出した。
“人が見ようが見まいが  そんなことおかまいなし  ただ いのちいっぱいに  自分の花を咲かすだけ  自分の花を―”

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京都 桜だより

6日(日)の夕方から、夜桜を見るために、妻と二人で出かけた。四条河原町で電車を降り、四条通を歩いた。周囲はまだ明るく、四条大橋からは、鴨川沿いの桜を見ることができた。
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白川南通を東へ歩いた。この辺りは石畳の道沿いに旧い京の町家が建ち並んでいる。時々、舞妓さんが歩いていたりもする。それが今を盛りと咲く桜とマッチして風情を感じさせる。
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東山通を渡って、知恩院前に出た。大きな山門の両側には桜が咲き誇っていた。ふと、二十数年前、私の両親を案内し、この寺の長い石段を登ったことを思い出した。歳月の流れを感じた。
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知恩院のすぐ横が円山公園だ。この間、昼間に見た枝垂れ桜がライトアップされていた。樹齢何年になるのだろう。古木になってきたせいか、所々枯れ枝になっているのが気になった。
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円山公園から南へ清水寺に向かって歩いた。この頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。しかし、道路は夜桜見物の人達でいっぱいだった。
途中、高台寺に立ち寄った。高台寺は豊臣秀吉の没後、夫人だった北政所(ねね)が、菩提を弔うために出家して開創した寺だ。この寺の枝垂れ桜も有名だ。特に夜桜は、幻想的な雰囲気があってよかったのだが、その写真を普通のデジカメで撮ったので、あまり臨場感の出ない写真になってしまい残念だった。
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二年坂・産寧坂を歩き、最後に清水寺に行った。世界遺産にもなっていて、外国人の観光客も多かった。ライトアップされた塔と満開の桜は魅惑的な色彩だった。
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長年京都に住んでいるが、初めての夜桜見物だった。
京都の桜の花も10日前後で散ってしまうだろう。あと何回、この桜を楽しめるのかなあと、ふと思ったりした。

2008年 桜だより

所用のついでに、妻と桜を見に行って来た。
阪急電車の終着駅である四条河原町駅で下車し、四条通を東に少し歩くと高瀬川がある。その川に沿って咲く桜が満開で綺麗だった。
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四条通を土産物店を覗きながら東に歩いた。突き当たりに八坂神社がある。そこを通り抜けると円山公園だ。ソメイヨシノはすでに満開で、地面には夜の宴に備えてブルーシートが敷き詰めてあった。
有名な枝垂れ桜は五分咲き程度だった。この桜は昼間見るよりも、夜にライトアップされたものを見る方が情緒があっていい。今週の土・日は、この桜を見る人達でいっぱいになることだろう。
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沈丁花の苗

画像我が家の庭に沈丁花の苗を植えた。旧友に頼んで購入してもらった。
沈丁花は前々から植えたいと思っていた花だ。花弁自体は小さく、それほど目立つ花ではないが、何と言っても香りがいい。早春にこの花の香りが漂って来ると、「ああ、今年も春が来たんだなあ」と感じる。
しっかり水をやって根付かせたい。来春からは、我が家の庭で、この花の香りを楽しむことができる。嬉しい。

花満開

つい先日、京都にも桜の開花宣言が出され、いよいよ花満開の季節が近付いて来た。
我が家の近くにある玄隆寺という小さな寺の入り口には早咲きの桜があって、今日、見に行ったら既に満開だった。ソメイヨシノは、まだ咲き始めの状態。4月の初旬が見頃になるだろう。今年は、あちこち花見に出かけたいなあと思っている。
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我が家の玄関も花満開になっている。
冬越ししたビオラが春になって一段と増え、プランターから溢れんばかりに咲いている。
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門扉にはデイジーの花が咲いている。2月まではガーデンシクラメンが咲いていたのだが、3月初旬に植え替えた。
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門柱の上にはジュリアンの花を鉢植えにして置いている。次々と花が咲き、長い期間楽しめるので毎年植えている。
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今年も花満開の季節を迎えることができたことを、素直に喜びたい心境でいるところだ。

精密検査の日々からの脱出

長い長い冬だったような気がする。

1月22日だったと思う。体調を崩した。
胸がチクンと痛んだ。洗面所に行って歯を磨こうとしたら、米粒大の血痰らしきものが出た。もしかして・・・という不安が心をよぎった。1年半ほど前に基本健診でひっかかり精密検査を受けていたので不安が増幅した。
その日のうちに呼吸器科のある近くの医院に行った。胸のレントゲンを撮ってもらった。それを見た限りでは異常な影などはなかった。ただし、以前のデータがなくて比較できないし、レントゲン1枚だけでは、はっきりしたことは言えないと言われた。念のためにと医者が判断したのかもしれないが、血液検査を受けた。
3日後、血液検査の結果が出た。総コレステロール値が高かったことと、CEA CLIA法といわれる腫瘍マーカーの値が6.6(基準値は5以下)と高かった。その日から精密検査に翻弄される日々が始まった。
その3日後、腹部エコー検査を受けた。腫瘍でもできているのでは・・・と思って非常に不安だった。結果は、肝臓の一部に石灰化した所があるものの心配いらないし、他の臓器の形は異常なしだった。ちょっとほっとした。
今度は、医者が、大腸癌がある場合、腫瘍マーカーの値が上がることがあるので、便の潜血検査をすると言った。便を2日に分けて採り、検査機関に回してもらった。結果がでるまでの1週間ほどの間、不安な日々が続いた。結果は陰性だった。医者が「これだけでは安心できない」と言った。
今度はまた、「紹介状を書くから、K病院の呼吸器科で検査を受けるように」と言われた。
1月31日、大きなK病院に朝から行き、診察を待った。患者が多く、昼近くまで待った。やっと名前を呼ばれ、レントゲンを撮って来るように言われた。
レントゲン室で3枚、胸のレントゲンを撮った。それをまた呼吸器科の受付に提出して診察を待った。すると、今度は、地下に行って、胸のCTを撮って来るように言われた。相当悪い状態なのかと思った。また沢山の放射線を浴びてしまった。結果が出るのに時間がかかり、午後の3時頃まで診察を待った。その間、どんな告知を受けるのかと不安と恐怖で一杯の時間を過ごした。やっと診察を受けた。結果は「異常なし」だった。全身の力が抜けるような感じがした。医者が「後は、消化器の方を調べてみる必要がある」と付け加えて言った。
この頃から精密検査を受けることに対する恐怖心と、医療に対する不信感のような感情が芽生えてしまった。不信感というのは、「医者は病気を見つけようとするあまり、次々と精密検査をして患者をたらい回しにし、不安を抱いている患者の心のケアに対する配慮を全くしてくれていないなあ!」といった感情だ。
日々の生活は、病気のことばかりに心が奪われ、季節の変化や草花に目を向けることが全くできなくなってしまった。パソコンに向かう元気もなかった。ストレスからか、食欲もなくなってしまった。一人になると病気への不安感に押しつぶされそうだった。
それでも医者から言われた消化器の検査をしたほうがいいと決心し、2月18日に胃と大腸の内視鏡検査を受けた。
胸のCT検査を受けたK病院に早朝から行き、まず胃の内視鏡検査を受けた。胃カメラを飲むのは初めてではないが、飲み込む時、やはりオエッとなった。モニターの映像を見ながら検査を受けた。
検査後、すぐ結果を説明してくれた。潰瘍や癌はないが、萎縮性胃炎の状態だと言われた。「ピロリ菌というのを聞いたことがありますか?この菌が潰瘍や癌を引き起こすことがわかってきているので、その検査をして、いるようならそれを殺す薬を飲んだ方がいいですよ」と説明してくれた。
その後、大腸の内視鏡検査を受けた。受ける前に大腸をきれいにする下剤を2リットル飲まなければならなかった。そして10分間隔くらいにトイレに行った。10回以上行っただろうか。その後、やっと大腸の内視鏡検査だった。大腸は全く問題がなかった。
この一日、まるでまな板の鯉のような状態で過ごし、くたくたに疲れた。
後日、検査結果を紹介状を書いてくれた医院に持って行き、ピロリ菌の検査を受けた。検査結果は陽性だった。日本人の6・7割は陽性だと聞いていたので、さほど驚かなかった。7日間、ピロリ菌を殺す薬を飲んだ。
しかし、胃腸の調子は、まだ快復していない。多分、一連の精密検査でストレスを受け、胃が弱ってしまったのだろう。精神的な立ち直りをする必要があると思っている。
3月初めに、最初に診察を受けた医者から電話連絡があった。妻と一緒に説明を受けるようにとの内容だった。新たな検査結果が出て告知を受けるのかと怯えたが、これまでの診察結果の説明だけだった。医者が、これ以外の検査で、保険適用外だが、全身を調べる検査があると紹介してくれたが、正直、もうこれ以上の精密検査はもういいと思った。
実際、人間ドッグで受ける検査以上の検査を受けてきたわけだし、検査よりも、精密検査で弱ってしまった体力と気力を回復することが先決だと思っている。

私が病魔に囚われてしまっている間に、京都もずいぶんと春めいて来た。季節の移ろいを肌で感じ、今日生きていることを楽しめるような生活がしたいと思っている。

正月の三箇日

例年は正月の三箇日を実家のある信州に帰省して過ごすのだが、今年は京都で過ごした。
【元旦】
大晦日の夜、突然、大学時代の友人二人から携帯メールが届いた。沖縄旅行の帰りで、博多から夜行列車に乗り、元旦の朝、京都に着くといった内容だった。昔からの友人なので、急ではあったが、会うことにした。
朝の8時20分に京都駅で待ち合わせ、懐かしい友人と会った。一人は口髭が真っ白になっていて、もう一人は頭髪がかなり薄くなっていた。歳月が流れたなあとしみじみ感じた。しかし、話し始めたら時の壁を越え、三十数年前の友人同士だった。
三人で初詣に行くことになった。
最初は京都駅の近くにある東寺に行った。早朝だったので、人影は疎らだった。世界遺産にもなっている境内を散策し、五重塔などを見た。朝の冷たい空気で身が引き締まる思いがした。
次に八坂神社に行った。参道の両側に出店が並んでいて、こちらは早朝にもかかわらずかなりの人出だった。ほとんど信仰心がないのだが、本殿では、人並みにお賽銭を上げ祈願をした。「元旦にお寺と神社に初詣に来たのだから、さぞ御利益があるだろうなあ」と言って、笑い合った。
昼近くになったので、デパートの和風料理店に入り、酒を呑みながら旧交を温めた。
【2日】
妻が初詣に行きたいと言ったので、私は二日続きになるのだが、行くことにした。
昨年は平安神宮に行ったので、今年は八坂神社になった。元旦とは比べものにならないほど沢山の人出だった。家族の健康と幸せを祈願した。その後、すぐ近くにある知恩院(浄土宗総本山)に行った。石段が急で、しかも沢山あったので疲れた。
初詣の後、円山公園内にある喫茶店に入った。昔、迎賓館だった建物なのでアンチークな雰囲気があり落ち着けた。そこで午後の3・4時間を過ごした。ゆったりとした時間が流れていた。
【3日】
東京と神戸で暮らしている子供達が揃い、久しぶりに家族4人で食事をとった。食事をしながらふと、親は子供達が帰って来てくれたことを喜び、家族という共同幻想に浸ってはいるけれど、子供達の心の中には、親の知らない世界が広がっているのだろうなあと思った。賑やかな雰囲気の中で、親としての寂寥感を覚えた。

シャコサボテン開花

画像今日は冬至。朝から冷たい雨が降っている。何となく気分が落ち込んでしまうので、書斎に置いてあるシャコサボテンの花を眺めて気分を和らげる。
3年ほど前に鉢を購入した。開花した後の手入れが良かったのか、今年も見事に花を付けた。葉が尖っているのでシャコサボテン類だと思うのだが、購入した時には別名が付いていたような気がする。たぶん品種改良されたものだろう。
一般的な花と違い、秋から冬にかけて開花するのが何とも不思議な気がする。
今日はどうやって一日をすごそうか?外は雨で散歩もできない。かと言って部屋で長いことパソコンに向かっているのも嫌だ。読書をする気にもならない。こんな日は、うまいワインと料理に舌鼓を打ちながら時の流れに身を任せるのがいいのかもしれない。

年賀状作成

年賀状を印刷した。後は添え書きをするだけになった。
パソコンにインストールされているはがき作成ソフトを使ってデザインし、それをプリントアウトするだけなので、昔と比べたら短時間の作業で済み、それほど大変だという感じは残らなかった。
昔は大変な作業だった。
教師になってから数年は、多色刷りの板版画だった。それを担任していたクラスの児童全員に出していたので、年末に膨大な時間と労力を使った。それだけ教育に対する情熱があったのかもしれない。
結婚してからは、「プリントごっこ」を使って年賀状を作成した。教職生活が長くなるにつれ、年賀状を出す必要のある人が増え、板版画をしている余裕がなくなってしまったからだ。謄写版印刷の要領で1枚・1枚印刷し、印刷が乾くまで部屋中に年賀状を並べておいたことを思い出す。
パソコンが普及するようになってからは、もっぱらはがき作成ソフトを使ってデザインするようになった。早くできて見栄えのいい年賀状ができるようになった反面、心がこもっていないような感じがしてしまう。だから、できるだけ添え書きをするように心がけている。
時々、年賀状の添え書きをしながら、年賀状を毎年、何故出すのだろうと思うことがある。キャッチコピーのように「年賀状は贈り物」なのかもしれない。私には、長く生きて来た間に出会ったたくさんの人とを繋ぐ細い糸のような気がする。今年、私は、その細い糸を自ら何本か切ることにした。

京都・紅葉だより 光明寺

今年の紅葉の見納めに、昨日(1日)、光明寺に妻と行って来た。光明寺は地元にある浄土宗のお寺だ。嵯峨・嵐山や東福寺ほどではないが、地元では紅葉でかなり有名なお寺だ。
阪急の長岡天神駅で下車し、駅前でバスを待った。紅葉のシーズンの土曜日ということもあって、直通の臨時バスが出ていた。乗車して10分ほどで光明寺に着いた。
山門前のもみじがきれいに紅葉していた。
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山門をくぐると、本堂に向かう真っ直ぐでなだらかな参道が続いていた。
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参道の脇の木立の間から、鮮やかに色付いた木々が見えた。
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参道を上り切ると本堂があった。私はさほど信心深い方ではないが、線香を立て、本堂内に上がって合掌した。
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回廊を通り、中庭を見た後、出口に向かう通路に出た。ここから出口までの通路の紅葉がまさに見頃で素晴らしかった。
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出口まで紅葉のトンネルが続く。私は光明寺に紅葉を見るために過去2回ほど来たことがあるが、これほど見事な紅葉の時期に来たのは初めてだ。
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私は紅葉を観賞しながら、日本人独特の情緒や感性は、このように季節の移ろいを愛でるところから培われるのだなあとしみじみ思った。
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京都・紅葉だより  東福寺

25日(日)に、大学時代からの友人と、東福寺へ紅葉を観に行って来た。3連休と紅葉の時期が重なったから観光客が多いだろうと行く前から予想していたが、行ってみると予想を超える人出だった。
JR奈良線の東福寺駅で降りてから、東福寺までの道を人の波がずっと続いていた。途中、交通整理をしているガードマンが、「今日は4万人ぐらいの人出だ。通天橋に入るのに1時間くらいかかる」と教えてくれた。
境内に入ると、もみじが真っ赤に紅葉していた。
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境内で通天橋に入る券を買った。券を買ってすぐ入場できると思っていたら、とんでもない間違いだった。広い境内を入場待ちする人の列が延々と続いていて、何時になったら入場できるのだろうと不安になるほどだった。結局、入場するまでに40分ほどかかった。
通天橋から眺める紅葉は見事だ。紅葉が雲海のように広がっている。観光客は皆ここで写真を撮ろうとするので、なかなか身動きがとれない。私もやっとの思いで通天橋からの眺めの写真を2枚ほど撮ることができた。
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通天橋を渡ってから記念写真を撮った。実は、私と友人のbirthdayが近付いたので、その前祝いを兼ねて紅葉を観に来たのだ。
その後、谷間に通じる小道を下りて行った。周りの紅葉がちょうど見頃になっていた。
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谷間に下りたら、今度は、紅葉を見上げる感じで楽しんだ。紅葉が、赤・橙・黄・黄緑・緑といったグラデーションになっているところがいいなあと思った。
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今度は谷間を上り、通天橋の出口に向かった。今年の秋の紅葉を脳裏に焼き付けてから帰路についた。
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