懐かしの映画音楽

 3・4年ほど前だったと思うが、数々の映画音楽のCDの中から、自分がかつて観た映画で演奏された曲ばかりを集めてオリジナルCDを作った。その映画音楽CDを、近頃、書斎にいる時、B.G.M として聴いていることがよくある。その曲を聴いていると、映画の幾つかのシーンが映像として思い出される。同時に、頻繁に映画を観た若かりし頃のことを懐かしく思い出したりもする。
 私が小・中学生の頃は、学校とか公民館で、文部省推薦の映画くらいしか観たことがなかった。生まれた村には映画館はなかった。世間の事を何も知らない田舎の子どもだった。
 高校生になって、バスで、村に隣接する市にある高校に通学した。その市には、映画館があった。通学路の途中にその映画館があり、上映の看板を見るたびに、そこに入って映画を観てみたいといつも思っていた。しかし、その当時は、高校生だけで映画を観たりするのは不良の始まりだという雰囲気のある地域だった。ある日、意を決して、学校の帰りに映画館に入った。胸の高鳴りを抑えながら観た記憶が残っている。初めて一人で観た映画は、『鉄道員』だったような気がする。その後、『禁じられた遊び』を観たように記憶している。
 大学生になってからは、全く地域や親の干渉がなくなったので、映画館に足繁く通った。奨学金の大半を映画代に使ってしまったことが何回もあった。映画を観ながら、私は、映画の登場人物になりきっていた。映画の中で、現実とは違う別の人生を生きていたように思う。

 思い出すままに、これまで観た映画とその映画音楽を列記してみた。

エデンの東(エデンの東) カサブランカ(時の過ぎ行くまま) ライムライト(テリーのテーマ) 嵐が丘(キャッシーのテーマ) ある愛の詩(ある愛の詩) 風と共に去りぬ(タラのテーマ) ウエスト・サイド物語(トゥナイト) ティファニーで朝食を(ムーン・リヴァー) カッコーの巣の上で(カッコーの巣の上で) 河は呼んでる(河は呼んでる) 雨に唄えば(雨に唄えば) ベン・ハー(ベン・ハー序曲) ドクトル・ジバゴ(ララのテーマ) 巴里の空の下セーヌは流れる(パリの空の下) 太陽がいっぱい(太陽がいっぱい) シェルブールの雨傘(シェルブールの雨傘) 禁じられた遊び(禁じられた遊び) 鉄道員(鉄道員) 第三の男(第三の男) ローマの休日(ローマの休日) みじかくも美しく燃え(ピアノ協奏曲第21番ハ長調) 白い恋人たち(白い恋人たち) 慕情(慕情) ロミオとジュリエット(ロミオとジュリエット) ゴッドファーザー(愛のテーマ) アラビアのロレンス(アラビアのロレンス序曲) 明日に向かって撃て!(雨にぬれても) サウンド・オブ・ミュージック(エーデルワイス) ひまわり(ひまわり) ベニスに死す(交響曲第5番嬰ハ短調) イージー・ライダー(ワイルドで行こう) モダン・タイムス(スマイル)

 まだまだたくさん観たと思うが、懐かしく思い出す映画は、そんなところだ。

 最近はとんと映画館に行かなくなった。観たいと思う作品が少なくなった(娯楽性の強い作品が多くなり、文学的・芸術的作品が少なくなった気がする)こともあるが、一番の影響はレンタルビデオ店の普及だ。たいていはそこで借りて観ている。最近は、『アバター』など3D映像の作品に人気があるようだが、これからはそれが主流になっていくのだろうか?

2010年 長岡天満宮のキリシマツツジ

 一昨年もブログに載せたので、今年もブログに載せるのはどうかと思ったが、(今年の花は今年だけのもの)とも思ったので、やはり載せることにした。

 昨日(28日)は、久しぶりに春らしい良い天気だったので、近くの長岡天満宮へキリシマツツジを見に、妻と出掛けた。
 阪急「長岡天神」の駅前にある食堂で昼食をとった。私は好物の「だし巻き定食」、妻は、地元特産の筍を使った「たけのこご飯」(吸い物付き)を食べた。
 その後、歩いて長岡天満宮まで行った。参道は、平日にもかかわらず観光客でいっぱいだった。
 キリシマツツジはちょうど見頃だった。春の陽光を浴びて燃えるように咲いていた。参道の両側に咲くキリシマツツジを眺めながら本殿に向かって歩いた。歩きながら、(平凡ではあるが、花を愛でるささやかな幸せな日々が長く続きますように)と心より願っていた。

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ドッグイヤー【dog year】

 近年、ドッグイヤー【dog year】という言葉を思い浮かべ、痛切にその通りだなあと感じることが多い。
 その言葉は、「情報技術分野における革新のスピードを表す概念。通常 7 年で変化するような出来事が 1 年で変化すると考える」(goo辞書)新語だ。
 Windows OSに関して言えば、現在私はWindows XPを使用しているのだが、その後継としてWindows Vistaが発売された。そのVistaがあまり人気がなかったので、今度は、そのまた後継としてWindows 7が発売された。現在は、そのOSが主流になっている。
 技術革新のスピードの速さには圧倒されてしまう。私の本音を言えば、(ようやくWindows XPを自由自在に使いこなせるようになったところなのに、もう付いて行けない)といったところだ。現在のXPで特別不都合なところがあるわけでもないので、新しいOSを買い求める気も今のところはない。(今使っているPCが壊れたら別問題だが・・・)
 携帯端末の技術革新のスピードもすごく速い。現在、私はFOMAを使っている。通話やメールやカメラだけでなくワンセグも視聴できる。しかし、それらの機能はごく一部で全ての機能を使いこなせているわけではない。
 ところがそうした携帯端末をはるかに越えたiPhoneに代表されるスマートフォンが流行って来ている。コマーシャルで見る範囲での感じだが、もはや携帯端末というよりもモバイルパソコンと言っても過言ではない。
 多分若者達は、そうした新製品を買い求め、使いこなしていくのだろう。何年か後、私は、時代遅れの人間になっているのかもしれない。

2010年 サクラソウ開花

 寒暖の差が激しい3月・4月であったが、今年も無事サクラソウが開花した。
 大学時代の友人から貰った花だが、枯らすことなく毎年咲いている。今年は、植え替えの時、増えた株を、妻の元同僚にあげた。そのサクラソウが綺麗に咲いたと、先日、電話があった。その花を見た元同僚の友人が甚く気に入ってしまい、譲ってほしいと懇願されたので、何株かあげたとのこと。サクラソウを介して、人と人との繋がりが出来ていく。

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園芸(ガーデニング)

画像 我が家の小さな庭で、ガーデニングもどきのことをやっている。
 今日は、以下の作業をした。
 まず、草引きをした。この時期を逃すと、雑草が生い茂り、その作業が大変になるからだ。スーパーの袋にいっぱいになるくらい雑草を抜いた。
 次に、休眠状態にして温室に入れてあったサボテンに水遣りをした。これからサボテンも生長期に入る。5・6月頃には花が咲く。
 最後に、庭全体に新しい土を入れた。篩(ふるい)を使って、細かい土だけを入れた。この作業がかなりしんどかった。腰が痛くなってしまった。
 嬉しかったことがあった。チェコに住む叔母から貰ったコインフラワーが発芽していた。この花は育てたことがないので、これから無事生長するかどうかちょっと心配だ。

 ブログを書きながら、(私のブログは、花に関する記事が多いなあ)と思った。おそらく花を見て心が癒される人はいても、傷つく人はいないから自然と多くなったのかもしれない。

壊れた腕時計

 「壊れかけの腕時計」が、とうとう「壊れた腕時計」になってしまった。
 電池交換もして秒針もちゃんと動いているのだが、気が付いたら1日に30分以上も遅れるようになった。これでは時計としては役に立たない。分解掃除をしてもらう方法もあるのだが、1万円ほど費用がかかる上に、確実に修理できるという保証もない。おそらく年数が経ち電子制御をする部品自体が壊れてしまったのだろう。部品交換もできないので、結局、新しい腕時計を買い求めることにした。
 近くの時計屋で、ごく標準的な値段の腕時計を買った。CITIZENの製品。性能は以下の通り。
 
【電波時計】
毎日午前2時と4時の2回、自動的に電波を受信し、時刻を修正する。ボタン1つで、電波を受信できたか確認することもできる。
 
【ソーラーパワーウオッチ】
文字板がソーラーセル面になっている。フル充電すると、通常使用状態で約6ヶ月間、時刻を刻み続ける。基本的に電池交換不要。
 
【10気圧防水】
洗顔・雨・水仕事・一般水泳・マリンスポーツの時でも使用できる。

 これで無茶な使い方をしない限り、ずっと使い続けることができるだろう。30年ほどの間に、それほど高価でなくとも性能のいい腕時計が市販されるようになったものだと思った。
 「壊れた腕時計」は、思い出の品物なので、大事に机の引出しにしまっておくことにした。

2010年 桜だより(醍醐寺)

 体調を崩し寝込んでいるうちに時が流れ、春爛漫の季節になっていた。今年の桜は、今年のこの時期にしか見られないという一期一会の思いが募り、体調は万全ではなかったが、花見に出掛けることにした。
 京都市内の桜で有名な所は、これまでにほとんど見に行ったので、今年は遠出をした。市内ではあるが伏見区にある醍醐寺に行くことにした。
 阪急電車、市営地下鉄烏丸線、同・東西線と乗り継ぎ、醍醐駅で下車した。地下鉄が出来たので昔と比べて交通の便がよくなったのだが、それでも1時間以上かかった。醍醐駅からは徒歩で15分ほどだった。予想していた通り、たくさんの観光客がいた。中にはアジア系の外国人観光客もいた。
 醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山だ。遥か昔、秀吉が「醍醐の花見」をした場所としても有名だ。ユネスコの「世界文化遺産」にもなっている。
 山門に辿り着くと、その両側から満開の桜が覆いかぶさっていて、春の情緒を醸し出していた。

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 参道に咲いていた枝垂桜が綺麗だった。

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 ソメイヨシノは満開で、春の陽光を浴びて輝いていた。

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 境内は思っていた以上に広かった。観光客は散らばり、さほど混んでいる感じはしなかった。そこに見事な国宝の五重塔がそびえていた。この塔は、応仁の乱でも焼失せずに残ったと入口で貰ったパンフレットに書いてあった。すぐ真下で五重塔を仰ぎ見ながら、改めて日本の木造建築の技術の素晴らしさに感嘆した。また五重塔と桜とはよく似合うなあとも思った。

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 帰路、疲れて足を引き摺るようにして歩きながら、(今年も何とか桜を見ることが出来たことを感謝しなければいけないのだろうなあ)などと思ったりした。

春の訪れ

 3月に入ったら一段と陽射しが明るくなり、春の訪れを感じるようになった。
 我が家の庭では、沈丁花の花が咲き、サクラソウやアジサイが芽を出した。ビオラは花数が増え、早春の光を浴びて輝いているように見えた。植物は季節の変化を敏感に感じ取り生長するんだなあと改めて思った。

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 花々を眺めていて、ふと鴨長明の『方丈記』の冒頭の部分を思い出した。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、・・・」
 時の流れは誰も止めることができない。その流れと共に私自身も確実に老いていくんだなあと思ったりすることがある。
 京都は、あと2週間ほどで桜の花の季節を迎える。

壊れかけの腕時計

 過日のことだが、何気なく腕時計に目を遣った。秒針はちゃんと動いているのだが、どこかがいつもと違う。よくよく見たら、文字盤が90度ほど回転した状態になっていた。こんなことは初めてだった。修理できるかどうかわからなかったが、近くの時計屋へ持って行った。
 時計屋の奥には、長年、時計の修理一筋に仕事をしてきたと思われる容貌の老人がいた。腕時計を見せると、
「ああこれは文字盤の軸が折れたんやねえ!古い時計やし部品を交換することはできまへん。軸を溶接する方法もあるんやけど、そうすると文字盤の表面が熱で焼けてしまいますなあ」
と言われた。
「修理は難しいですかねえ?大切な時計なので何とかなりませんか?」
と聞くと、しばらく思案してから、
「できるかどうかわからへんけど、まあやってみましょう」
と言ってくれたので、腕時計を預けて帰った。
 その日の夜、何とか工夫して修理できそうだという内容の電話があったのでほっとした。
 二日後、腕時計を受け取りに行ったら、件の老人がいた。
「いつまた壊れるかわからへんけど修理できましたわ。この時計は古い時計やねえ!」
「ええ、30年ほど前の時計です」
「これはキングクォーツという品で、当時は最高級の時計だった物ですわ。今は、電波時計とかもっといい物があるけどねえ。お父さんから貰わはったの?」
「いえ、私の物ですけど」
「お金、持ってたんやねえ」
こんな会話を交わした後、腕時計を受け取った。修理代は3千円だった。
 直してくれた老人には話さなかったのだが、実はこの腕時計は、私の結婚の結納の記念品として貰った物だ。だから古くても思い出の品だから何としても修理して使い続けたかったのだ。何とか修理できたのだが、壊れかかっていることも事実だ。無理もない。30年間ほど時を刻み続けてきたのだから・・・。
 今年の3月末に、私は結婚30周年を迎えることとなる。

2010年 梅だより(大阪城公園梅林)

 昨日(21日)は、春の到来を感じさせる暖かな天気だった。青い空が広がり、屋外は、明るい陽射しに包まれていた。日曜日で人出が多いことはわかっていたが、暖かな陽気に誘われて出掛けることにした。
 前日の夕刊を見て、梅の花の咲いている場所を探した。満開の場所はまだなかったが、大阪城公園梅林が五分咲きだったので、そこに行くことに決めた。
 JRの「大阪城公園駅」で下車し、大阪城に向かって歩いた。予想していた通り、たくさんの人出だった。屋台店がたくさん出ていた。イカやフランクフルトを焼く匂いが辺りに漂っていた。大音量でストリートライブをしている若者たちがいた。私にはうるさいだけで、どこがいいのかさっぱりわからなかった。
 20分ほど歩いたら梅林に到着した。さっそくデジカメで梅の花を撮ったりしながら梅林の中を散策した。時折、梅の花に鼻を近付け甘い匂いを嗅いだりした。

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 ここの梅林は、背景に大阪城が望めるところが他の梅林と違うところだ。

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 大阪城公園梅林には、これまで3回来たことがある。最初は、記憶が定かではないが、まだ私が独身だった頃のような気がする。2回目は私の両親と一緒だった。大阪を案内した時に立ち寄った。まだ私の息子が3歳くらいだったと思う。この時は、大阪城の天守閣にも登ったように記憶している。3回目は2007年に妻と二人で来た。
 その時見た風景は、今回とほとんど同じだったと思う。しかし、その風景を見る私と、私を取り巻く家族の状況が全然違っていた。膨大な時間が流れ去ったような気がした。

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洋ラン展

 立春とはいえ時折小雪の舞う昨日、府立植物園で開催されている洋ラン展を観に行って来た。
 洋ランの花は昔から好きで、毎年一鉢ほど購入し、玄関に飾ったりして楽しんできた。しかし翌年、同じように花を咲かせることはなかなかできなかった。結局、ランの栽培をするには温室が必要だという結論に達した。それ以来、洋ランはもっぱら観賞するだけにしている。
 植物園内にある温室に入ると、春のように暖かかった。洋ラン展のコーナーには、見事な洋ランが何種類も展示されていた。洋ランだけをとっても、その道のプロと呼ばれる人達が世の中にはたくさんいるんだなあと思いながら観賞して歩いた。

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 帰路、ふと「思い出行きの列車」に乗った。府立植物園の近くにかつて私が住んでいたアパートがあったことを思い出し、それが見たくなったのだ。35年ほど前、私が京都で教員生活を始めた時に住んでいたアパートだ。
 このあたりにあるはずだと思って記憶を頼りにして探したが見つからなかった。たまたま町内の案内板があったので、それで場所を突き止めた。一筋、通りを間違えて歩いていた。
 やっとかつて私が住んでいた場所に辿り着いた。しかしアパートは取り壊されていてなかった。全く別の家屋が建っていた。
 アパートのすぐ隣にあった高名な学者(私は、京都に住み始めた時、縁あってそのお孫さんに色々と世話になった)が住んでいた家屋だけはかろうじて残っていた。しかし、「○○○記念財団」と表札が変わっていた。
 歳月が流れ去ったことをしみじみと感じた。また、あの頃は本当に向こう見ずな生き方をしていたものだなあと思ったりもした。

新年を迎えて

画像 新しい年を迎えたとはいえ、特別改まった気分になったわけではない。ただ、(今年も何とか平穏な新年を迎えられたことに感謝しなければならないのだろうなあ)と強く思うようになってきた。歳をとってきたせいだろうか?人生の残りページがどれほどあるかは未知数だが、平凡な日々が送れていることに感謝しつつ、日々の生活の中で小さな喜びを見つけて暮らしていきたいと思っているところだ。
 今年の新年は子供達が帰って来て、親として安堵し、嬉しく思う立場になった。
 息子は帰って来て、ビールを飲み、ゲームをし、友達と会い、たっぷりリラックスして過ごしていた。普段は企業の中枢で働き、ストレスもいっぱい溜まっているんだろうなあと思った。
 娘夫婦は、この3連休に帰って来た。一緒に鍋を囲みながら楽しく夕食をとった。物価も家賃も高い東京で共働きをしながら夫婦仲良く暮らしている様子を聞き、嬉しく思った。
 新しい年を迎えたとはいえ、冬の寒さはこれからが本番だ。我が家の庭では、冬の寒さに耐えながら、春を待っている植物がある。スイートピーやフリージアなどだ。先日(9日)、そのスイートピーが植えてあるプランターに支柱を立てた。やがて来る春が待ち遠しい。

初詣(下鴨神社)

 今日(4日)、下鴨神社へ、妻と一緒に初詣に行って来た。京阪出町柳駅で下車し、世界遺産にも登録されている糺の森の中の参道を歩いた。今日は初蹴鞠の神事のある日で、参拝客が多かった。

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 本殿横には、今年の干支である寅の絵が飾られていた。その寅の絵を見ながら(そうだ、今年、私は年男なんだ!)と改めて思った。

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 本殿前に立ち、家内安全と健康を祈願した。また、干支によって分かれている小さな社もあったので、寅の社の前に立ち、厄除けを祈願した。普段は信心深くない私ではあるが、将来への不安や健康への自信の無さから来る「苦しい時の神頼み」なのかもしれない。

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 しばらくすると袴や烏帽子をまとった人達が、本殿に向かって、初蹴鞠を奉納する前の拝礼をしていた。

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 その後、初蹴鞠の神事が執り行なわれた。周囲は、ものすごくたくさんの人でいっぱいだった。(下の写真はポスターにあった蹴鞠の様子を撮ったもので、実際には人が多すぎて鞠しか見えなかった)

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 帰路、参道を歩いていたら、奇遇なことがあった。突然、私のことを「Y先生!」(もうすでに私は先生ではないのだが・・・)と呼ぶ人がいた。何とその人は、元職場の同僚で、当時、公私にわたって親しく付き合っていたKさんだった。最近は「会って久しぶりに飲みたいですね」と年賀状に書いたりするものの、なかなか機会が作れずに歳月が流れていた。10年ぶりくらいの再会だろうか?いや、もっと前かな?しばらく立ち話をした。非常に懐かしかったし嬉しかった。
 京都には神社がたくさんある。しかも大勢の参拝客。そして今日のこの時間帯。いくつもの偶然が重ならなければ会うことが出来なかった。その事を考えたら、ふと(神様が出会わせてくれたのかな?)と思った。





市田柿

 年末・年始の食材をまとめ買いするために近くのスーパーに行った。正月の食材がたくさん並んでいる棚にふと目を遣ると、干し柿があった。9個ほど入ったパックで1000円弱の値段が付いていた。高いなあ!と思いながら干し柿のコーナーを見たら、その中に「市田柿」という商品名の付いた干し柿があった。「市田柿」は、私の故郷の昔からの特産物だ。それを見たら、無性に故郷が懐かしく思えてきた。
 私が子どもだった頃、秋になると、「市田柿」を作る手伝いをさせられた。
 父が敷地内にある大きな柿の木に登り、枝を揺すって柿を地面に落とした。その柿を一家総出で拾い集めた。
 夕食後、今度は柿の皮剥きの作業が待っていた。子どもも大切な労働力だったから、「宿題をしろ」などとは言われたことがなかった。山積みされたたくさんの柿の周りに家族全員が座り、黙々と皮剥きの作業をした。眠気を我慢しながら夜遅くまで手伝いをした記憶が残っている。
 皮を剥いた柿は、一本の丈夫な紐に十数個くらいずつ括られ、家の軒先に吊るして干された。皮を剥いた朱色の柿が軒先にたくさん吊るされているのが、故郷の晩秋の風景だった。
 何日もかけて充分に干された柿は、冷暗所に保存された。すると初冬になる頃、柿の中にある糖分が表面に白い粉となって付いた。それをパックに詰め、「市田柿」として出荷していた。
 遠い昔の思い出だ。
 今、その仕事の中心となって働いていた父は亡くなってもういない。母は入院中だ。大きな農家だった実家には誰も住んでいない状況で正月を迎えることとなる。

自己満足かもしれないが・・・

 今日、郵便局に行って、特定非営利活動法人「国境なき医師団」への寄附金を振り込んで来た。
 私は、毎年、ユニセフ関連の団体に寄附をしている。この行為は、8年前に亡くなった私の親友が行って来たものだ。私も、彼の遺志を引き継いで行っている。本当はそうした活動の最前線で働きたいのだが、能力も勇気も決断力もないので、後方での寄附行為しかできないでいる。
 自己満足なのかもしれない。あるいは、偽善的な行為なのかもしれない。でも、何もしないよりはましだろうと思って、毎年、行っている。
 「国境なき医師団」で連想したのだが、私は、さだまさし作詞・作曲の「風に立つライオン」が大好きだ。この曲は、実在の医師をモデルにして作られたものだ。アフリカの大地で、遠い日本のことを想いながらも現地の人々に溶け込み、献身的に医療行為をする医師の話だ。なかなかできるものではないが、そのような生き方ができたらなあと夢のように思うことがある。
 同じ寄附行為でも、どうしても納得できなかったものもある。
 私が教員だった頃、長い間、教職員組合に所属していた。毎月、高い組合費を払っている上に、選挙が近付くと、寄附行為が強要された。自治体闘争資金なる名目で寄附行為が組合の中央委員会で決定され、分会に下ろされて来た。寄附金の額まで決まっていた。その寄附金が、結果的に特定の政党の選挙活動の資金として使われた。分会で議論したりしたが、寄附金とは名ばかりで、実際には強制的な拠出金だった。自分の出したお金が選挙活動のビラなどに消えたかと思うと虚しさだけが残った。

私の東京物語

画像 あれこれと思い煩うことがあって日々を過ごすうちに月日がたち早や師走になってしまったが、去る先月の26日から30日にかけて、妻と二人で東京旅行に行って来た。東京に住む息子がディズニーリゾートの券を送ってくれたので、行く計画を立てた。当初は10月頃行く予定にしていたのだが、新型インフルエンザが流行っていたので躊躇していた。11月になっても流行が下火にならないのでもう諦めて、あまり寒くならないうちに行こうということになった。11月末ならクリスマスバージョンのディズニーリゾートを楽しむこともできるのでこの時期に決めた。 
 
 26日の早朝の新幹線で京都を出発した。東京駅で荷物をホテルまで配送してもらう手続きをした後、直接ディズニーリゾートに向かった。京葉線に乗り、舞浜で下車し、ディズニーシーに行った。以前来た時には、まだディズニーシーは出来てなかったので初めてだ。
 平日にも関わらずたくさんの人だった。昼の水上パレードを見た。私はさほど感動しなかったが、妻は、船にミッキーやミニーなどが乗っていたので、喜んで写真を撮りまくっていた。

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 いろいろな乗り物に乗ったりショーを観たりしたが、正直なところ足が疲れてしまっていて、充分に楽しめなかった。リゾート内を移動するために長い距離を歩き、そしてまた、一つの乗り物やショーを楽しむために長時間並ばなければならないのがとにかく身に応えた。自分がそれだけ歳をとったんだなあとしみじみ感じてしまった。
 リゾート内を歩いていたら、熊のぬいぐるみを抱いて歩いている人達をたくさん見かけた。これが人気のダッフィーちゃんだとわかった。ディズニーシーの中の特定の店にしか売っていないとのことだった。私達二人も、記念にと一つ買い求めた。サンタの服を着たダッフィーちゃんにした。
 夕食は、リゾート内のレストランで、ワインを飲みながらスペイン料理を食べた。何となく異国に来たような雰囲気だった。
 
 翌日はディズニーランドに行った。昨日よりもさらにたくさんの人出だった。外国人の観光客もたくさんいた。私は、はるか昔、我が子が小さかった頃、ディズニーランドに来た時のことを思い浮かべながら再度、乗り物に乗ったりした。あの頃は、家族の幸せと夢の象徴としてディズニーランドがあったような気がした。

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 夜のエレクトリカルパレードを観るために1時間ほど前から場所取りをした。おかげで最前列に座って、パレードを観ることができた。

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 28日は、新浦安のホテルからお台場のホテルに移動した。ホテルに荷物を預けた後、お台場の観光に出掛けた。お台場を一周している自動運転の「ゆりかもめ」という電車に乗った。
 青海駅で降り、大観覧車に乗った。床が透明のものもあったが、怖かったのでごく普通のにした。東京湾やお台場一帯が一望できた。
 その後、台場駅で降り、フジテレビ本社ビルに行った。球体展望室の「はちたま」に上った。また、売店では、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」などの土産物を買った。台場駅付近の広場からはレインボーブリッジが綺麗に見えていた。このお台場一帯は埋立地であり、昔の東京の地図にはなかった所だ。東京の新しい観光名所だなあと思った。

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 午後3時頃、レインボーブリッジのすぐそばのマンションに住む娘夫婦の所を初めて訪ねた。前もってインターネットの検索で付近の地図をプリントアウトしておいたので、自力で辿り着くことが出来た。
 新築とはいえ、東京のマンションの家賃の高さにはびっくりしてしまう。これから貯蓄もしていかなければならないだろうし、子どもが生まれたりしたら、どう家計をやりくりしていくのだろうか?親として行く末が心配になったりした。とは言え、夫婦仲良く新婚生活を送っている様子で嬉しかった。
 この日は、たまたま私の誕生日だったので、娘夫婦がショートケーキを用意して祝ってくれた。歳をとってからの誕生日は哀愁感が漂うなあと、ちょっと思った。
 夕方、皆そろって新宿まで行った。息子に会うためだ。新宿西口の高層ビルの谷間を歩いた。はるか昔、新宿西口にはよく来たが、その頃は雑居ビルばかりだったなあなどと、私が若かりし頃を思い出しながら歩いた。
 息子とは、高層ビルの中の料理店で落ち合った。北海道の魚介類専門の店だった。子供達に囲まれて楽しく会食をした。ビールや酒をたくさん呑み、子供達はテンションが高かった。饒舌に仕事や趣味の話をしていた。私は、子供達に何物にも替え難い若さの魅力を感じていた。お開きの時、息子がカードで支払いをしてくれた。その行為が親として何となく嬉しかった。
 
 翌日は、妻と二人で、東京の街を観光した。
 地下鉄を乗り継いだりして、明治神宮外苑のいちょう並木を見に行った。丁度いちょう祭りをやっていて、たくさんの人出だった。

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 最近、何かと有名な六本木ヒルズにも行った。
 森タワーの52階にある東京シティービューや屋上のスカイデッキに上った。360度に広がる東京の街の大パノラマを存分に堪能した。

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 森タワーのすぐ隣にある毛利庭園やテレビ朝日のビルにも行った。報道ステーションの天気予報の中継でよく使われている毛利庭園は、テレビで見ると広い庭園に見えたが、実際に見たら小さかった。
 夜になってから、たくさんのイルミネーションで彩られた六本木けやき坂通りを、妻と二人で歩いた。ロマンチックなひと時だった。

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 京都に帰る最終日が来た。東京駅に行き、東京キャラクターストリートを歩いた。また、土産物を買った。それから八重洲中央口から歩いて5分ほどの所にある息子の勤めている会社の傍まで行った。(このビルの8階くらいで働いているんだなあ!健康に気を付けて頑張れよ!)と心の中で呼び掛けた。
 帰りは、新幹線の「ひかり」に乗った。車窓をぼんやりと眺めていた。ふと、小津安二郎監督の映画「東京物語」のシーンが思い浮かんだ。そして、私の東京物語と比べながら、自分の歩んで来た人生のことを考えていた。
 

2009年 紅葉だより(落柿舎・常寂光寺)

 連休の中日で観光地はたくさんの人出であることはわかっていたが、土産物店で来年の干支の置き物などを買いたくて、妻と一緒に嵐山に出掛けた。
 予想した通りで、嵐山の渡月橋はいっぱいの人だった。橋を渡ってすぐの道路は車が通行止めになっていて、車道にも人が溢れていた。食事時ということもあって、あちこちの店の前には長い人の列ができていた。
 嵯峨野巡りの道を歩き、落柿舎を訪れた。落柿舎は、周知の事だが、芭蕉の門人の向井去来の別邸だった所だ。最近、修復工事が終わり、家屋の中を見ることができるようになっていた。

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 落柿舎の近くの土産物店で、来年の干支の置き物を買い求めた。毎年、我が家では、その年の干支の置き物を玄関に飾っている。
 来年の干支は寅だ。そして私は寅年生まれで、来年、還暦を迎えることになる。その事を考えると、特別な感慨を覚えたりする。

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 私の大好きな常寂光寺を訪れた。あまりにも観光客が多くて少々興醒めの感はあったが、紅葉は綺麗だった。境内を散策しながら、(微妙な四季の移ろいを楽しむ感性は、日本人独特なものなのかなあ)などと思っていた。

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2009年 紅葉だより(瑠璃光院・詩仙堂)

 このところの冷え込みで紅葉が一段と進み、京都の秋も佳境を迎えようとしている。
 19日、京都市左京区にある瑠璃光院と詩仙堂を訪ねた。
 瑠璃光院は、叡山電鉄の八瀬比叡山口で下車し、徒歩5分ほどの所にある。普段は未公開だが、春と秋のそれぞれ2ヶ月だけ特別公開をしている。

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 瑠璃光院は静かな佇まいの中にある本坊だ。山門から続く石段を上り、坊内に入った。2階の部屋から眺める庭園の紅葉には情緒がある。畳敷きの部屋に座り、抹茶を飲みながら、この景色を眺めることもできる。

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 坊内ではちょうど僧侶が御勤め中だった。まるで音楽のように聞こえる読経を聞きながら、私は、周囲の鮮やかな紅葉を眺めていた。

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 1階に下りると小さな出入り口があって、外の庭の一部が覗けた。それを眺めながら、(こんな所で生活したら、さぞかし時間がゆったりと流れることだろうなあ!)と思った。

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 再び叡山電鉄に乗り、一乗寺駅で下車した。それから徒歩で詩仙堂に向かった。この周辺は、私が京都市の教員になって初めて勤めた学校の校区なので、非常に懐かしく感じた。
 詩仙堂では障子や窓のない畳の部屋に座り、外の庭園をのんびりと眺めて過ごした。庭の白砂と緑のサツキと赤や黄のモミジとの対比が素晴らしかった。

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 庭園内を散策した。鹿威しがあって、高くて乾いた音が秋の空に響いていた。

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センリョウの紅い実が庭園のアクセントになっていた。

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 この詩仙堂には、これまで何回も訪れた。大学時代の一人旅で初めて来た。職場の研修会で来たこともある。また、両親が京都に来た時、ここを案内した。さらには、旧友と来たこともあるし、もちろん妻と来たこともある。
 さまざまな想い出が、走馬灯のように思い浮かんだ。

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早や冬支度

 ちょっと早いかな?とも思ったが、我が家は、もうすっかり冬支度が出来た。
 居間に、電気炬燵やガスストーブを出して、使い始めた。応接間には、ホットカーペットを敷いた。エアコンも掃除をした。台所の石油ファンヒーターも、すぐ使える状態だ。これでいつ寒気団が下りて来ても大丈夫だ。
 玄関の花も、冬に向けて植え替えをした。自画自賛になるが、町内で一番、花を絶やさない家だと思っている。

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竹の径・かぐやの夕べ

 昨晩(17日)、向日市主催の「竹の径・かぐやの夕べ」に、妻と出かけた。
 向日市には西の丘丘陵という場所があって、孟宗竹が生い茂っている。筍の産地でもある。その丘陵の中に両側が竹垣で出来た「竹の径」と呼ばれている散策道が通っている。
 昨晩は、この散策道に、水ろうそくを浮かべた竹筒四千本が設置され、やさしい灯りに彩られた。

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 人出は予想以上に多かった。懐中電灯で足元を照らしながら「竹の径」を歩いた。ろうそくの灯りは現代人が忘れてしまったものを想起させる力があるなあと思った。

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 所々に竹で出来た灯篭もあった。

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 また、竹林の中に、まるで空の星々のようにろうそくの灯りが点在している場所もあった。

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 およそ1時間ほどの夜の散策となった。