生きている不思議

 『千と千尋の神隠し』の主題歌の中に、「生きている不思議 死んでいく不思議」という一節がある。私は今、その二つの不思議を体験しているような気がしている。

 十月初旬から、NYに住んでいる娘と孫娘が、里帰りで来ている。その孫娘を見ていると、「生きている不思議」を感じる。
 孫娘は、もうじき2歳になる。2年前にはこの世に存在しなかった命だ。生まれたばかりの時は全く何もできなかったのに、わずか2年の間に、食べたり泣いたり笑ったりするだけでなく、歩くこともできるようになり、言葉もたくさん覚えられるようになってきている。
 とりわけ言葉の獲得は加速度的だ。二語文・三語文を話すようになり、対話が成立している。近頃の口癖は、「これなーに?」と「◯◯、なにしてんの?」だ。英語も自然と覚えてきている。この間、遊具に登っている途中で足を踏み外しそうになり、「Oh my god !」と言っていたのには、思わず笑ってしまった。
 ただただ孫娘は、過去でも未来でもなく、今という時間を天真爛漫に生きている。

 一方で私は、余命いくばくもない義父の看病を、妻と一緒にしている。90歳になる高齢の義父ができることは限られている。自分の意思でできることは、きざみ食を食べることくらいだ。排泄も入浴も全介助の状態だ。テレビを観たり、新聞を読んだりする意欲も喪失している。季節や日にちや時間の感覚もほとんどなくなってきている。食事が済んだら、ただただ眠るだけだ。
 そんな義父の様子を見ていると、老いていく哀しみのようなものを感じる。やがては訪れるであろう死。死んでいく不思議のようなものも感じてしまう。

 印象派の画家ゴーギャンが描いた有名な絵画のタイトル、「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」という問いに対する答えは、永遠に見つかりそうにない。

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