洛陽三十三所観音霊場巡礼(10~14番)

 一日に5カ所の巡礼をしたと言っても、有名な清水寺の境内にある本堂を含めた御堂を5カ所、参拝しただけである。
 バスで「清水道」まで乗車し、そこから参道の清水坂をゆっくりと歩いた。久々に社寺巡りができるようになって嬉しかった。この参道はこれまで何回も歩いたが、これまでと様子が変わっていた。土曜日で人出はそれなりに多かったが、修学旅行生や外国人観光客は、ほとんど見かけなかった。やはり新型コロナウイルスの影響だろう。

【第10番札所 清水寺善光寺堂】
 清水寺の正門である仁王門の左手前にあった。これまでは素通りしていて、その存在すら気付かなかった。本尊は如意輪観音菩薩。珍しく写真撮影が禁止されていなかったので、仏像を撮影した。右第二手の如意宝珠と左第二手の法輪とが、苦を除く法力を発揮するとされている。

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【第13番札所 清水寺朝倉堂】
 本堂に入る拝観券を買って入ったすぐの所に建物があった。応仁の乱で清水寺が兵火で全焼した際、再興に尽力した越前の守護大名、朝倉貞景が建立し、寄進したとのこと。本尊は拝観できなかった。
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【第12番札所 清水寺本堂】
 ここは、ほとんどの人々が知っている有名な建物。西国三十三所巡りの札所と重複している。
 以前来た時は大屋根の葺き替え工事中だったが、ほぼ修復が済み、全景を見ることができた。ただし、舞台造りの箇所は修復中だった。
 本尊は秘仏で拝観できないのだが、外陣の礼堂で掌を合わせた。家族の健康と新型コロナの終息を祈った。

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【第11番札所 清水寺奥の院】
 清水寺境内の一番奥にあり、音羽の滝の上手に建っている。本堂を模倣して舞台造りとなっている。この舞台から見た本堂の全景が壮観だ。(本堂の写真は、ここから撮ったもの)

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【第14番札所 清水寺泰産寺】
 ここにある小三重塔は、塔内に小さな千手観音を祀っているので、俗称で「子安の塔」とも呼ばれている。安産の祈願塔として、その名を知られている。

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 この五つのお堂の御朱印は、本堂のすぐ横にある納経所でまとめて記帳してもらった。これで洛陽三十三所の内、十カ所を巡礼したことになった。西国三十三所巡りのことを考えると、巡礼が容易だ。つくづく西国三十三所巡りをまだ若いうちにしておいてよかったと思っている。

 何だか単なる紀行文みたいなブログの文章になってしまったが、時が経てば八割以上は忘れてしまうので、ブログにアップしておくのもそれなりの意味はあるだろう。
 社寺巡礼で悟りの境地に近付こうとする気持ちは、すっかり失せてしまっている。それなのに何故巡礼を続けようとしているのだろうか?御朱印を集めようとするコレクターの心理がインセンティブとなっているのかもしれない。それとも凡夫ではあるものの、その時を生きた証しを求めようとしているのかもしれない。自分でもよくわからないままでいる。







「人間五十年・・・」

 昨日(7日)、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』を観た。織田信長が、桶狭間の戦いの前夜、幸若舞「敦盛」の一節を謡い舞っていた。

 「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬ者のあるべきか・・・」

 しみじみと世を儚んだ詞だ。織田信長は、死を覚悟し、今川義元の大軍を討ち破ろうと、自分を鼓舞したのかもしれない。

 これは史実かどうかわからない別の話なのだが、この詞が今日(8日)になっても脳裏にこびりついて離れなかった。自分に残されている年月が短くなっているという事実を、どこかで意識し始めているからかもしれない。

 今日6月8日は、私の母の祥月命日だ。入退院を繰り返した後、9年前の今日、亡くなった。こんなにも歳月が流れたという事実を、どうしても自覚できないままでいる。
 小さな遺影の前に線香を立て、掌を合わせた。
 そのすぐ横には、我が家の庭で咲いたガクアジサイが生けてある。

テニス再開

 緊急事態宣言が解除されたこともあって、6月1日、久しぶりに市の運動公園でテニスの試合をすることができた。

 テニスの無理なプレーで腰を痛めたのが2月12日。その後、1カ月ほどかかって腰痛を治したのだが、今度は新型コロナウイルスの蔓延のためにスポーツ施設が全て閉鎖されてしまい、ウォーキング以外、全くスポーツができなかった。ほぼ4カ月のブランク。以前のようにテニスができるか不安感を抱いていた。
 朝10時前にテニスコートに行くと、懐かしい仲間達が、マスクを付けた格好で集まっていた。市販のマスクもしくは手作りマスクが全てで、アベノマスクを付けている人は誰もいなかった。
 前年度の会計報告書を受け取った後、2コートに分かれてダブルスの試合をした。普通にテニスができるのがどれだけありがたいことかを感じながらプレーをした。試合が終わった後は、ソーシャルディスタンスのため、通常のマナーである握手はお互いに省略した。試合の合間のおしゃべりも、距離をとって控え目にした。恐る恐るでのテニスの再開だった。
 ブランク中のウォーキングの効果があったのか、思った以上に身体が動いた。試合結果も予想以上に良かった。
 
 今日(3日)は、テニススクールの方にも行って、テニスの練習をすることができた。昨日はやはり疲れが出たが、古希を迎えた歳でもテニスができていることを、本当に嬉しく思っている。

「緊急事態宣言」解除!

 5月21日、近畿地方のみだが、京都府・大阪府・兵庫県に出されていた新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除された。
(ようやくか! 長〜い自粛生活だったなあ!)との思いが強い。しかし一方で、ワクチンが開発されていない現在、気の緩みから第2波・第3波の流行があるのではないのかという恐怖心があって、手放しで喜べないままでいる。

 23日、緊急事態宣言が解除された最初の土曜日、大手スーパーに出かけてみた。自粛ストレスが相当溜まっていたためか、堰を切ったような大勢の人出だった。ただ入口には消毒液が置かれていたし、ほとんどの人がマスクをしているところが、感染拡大前とは違っていた。また、各所に、social distance のための対策がとられていた。

 先日、国の施策のひとつである特定定額給付金(1人あたり10万円)の申請書類が届いた。さっそく間違いがないか気を付けながら記入し 、証明書類等のコピーを添付して返信した。2週間後くらいに指定口座に振り込まれるとのことだった。
 また、いわゆるアベノマスクと揶揄して呼ばれている布マスクも届いた。このマスクを全国の世帯に配布するのに466億円もの税金がかかるとは!?
 1世帯あたりわずか2枚のマスクでどの程度の効果があるのかはなはだ疑問だが、いつかは使う時が来るかもしれないと思って、箪笥の中にしまっておいた。
 これは、自治体独自の取り組みだが、1箱50枚入のマスクを、市から500円の補助があって、2500円のところを2000円で販売するとのはがきが届いた。新型コロナが流行る前と比べたらまだまだ高いと思ったが、薬局などの店頭では品切れ状態が続いているので、買うことにした。今日(23日)、配布場所の市民体育館まで行って購入した。3密を避けるため何日かに分けて販売するように配慮したようだが、それでもたくさんの人だった。検温と手の消毒をしてから受け取った。

 緊急事態宣言は解除されても、経済・教育・文化・芸術・スポーツなどの立て直しは、これからが正念場だ。長い歳月がかかることだろう。

 やっと緊急事態宣言が解除されたと思ってふと気付いたら、季節が変わっていた。我が家の庭では、ヤマボウシの花が満開になり、紫陽花の蕾が大きくなってきている。

 
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 生涯スポーツにしているテニスは、6月から再開しようと思っている。はたしてそうなるかどうか?緊急事態宣言が出ていた間、散歩以外全く運動ができなかったので、ちょっと不安だ。





2020年 我が家の花 その2

 新型コロナウイルスの対策として発出された緊急事態宣言が、5月31日まで延長された。明確な収束の見通しがないまま「家にいよう」と言われ自粛生活を続けるのは、ストレスが溜まりけっこう苦しい。しかし、新型コロナの最前線で闘っている医療従事者の人達の事を考えると、ひたすら耐えなければと思っているところだ。

 このところ、散歩や食料品の買い物以外にしていることは、録画した映画やテレビドラマを観ることや、花の手入れくらいだ。
 直近のテレビドラマでは、ヴィクトル・ユゴーの名作をBBCが映像化した『レ・ミゼラブル』。それをNHKが、毎日曜日の深夜、全8回に渡って放映していた。思わず感情移入してしまうほど感動した。この作品のミュージカル版もあるようなので、機会があったら観てみたいものだ。
 花の手入れでは、この間植え付けたばかりのサフィニアが、このところの暖かさで早や満開になった。
 以前からサフィニアとペチュニアの違いがわからなかったのだが、ネットで調べたら、サフィニアは、ペチュニアを品種改良した園芸品種だということがわかった。サントリーの特許植物で、花付きがいいようだ。

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 去年、園芸店で購入した鉢植えのクレマチスが、今年も開花した。表土が乾かないよう水遣りしていただけなのだが、見事に開花したので嬉しい。
 さっそく、LINEのプロフィールのところの写真を、サクラソウからクレマチスに変更した。
 満開の花を見ていると、新型コロナといった鬱陶しい話題を一瞬だが忘れ、心が癒されるような気がする。

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2020年 我が家の花 その1

 新型コロナウイルスの影響で、日々の生活が一変してしまっている。できる限り外出を控え、「家にいる」ことを心がけている。
 生涯スポーツにしているテニスは、屋外でするテニスクラブの試合も、屋内でするテニススクールも、全くできない状況になってしまった。いつ再開できるか見通しがたたない。
 始めたばかりの洛陽三十三所観音霊場巡礼さえ、自粛しなければならない状況に至っている。
 しかたがないので、日々やっているのは、自宅近辺の散歩と花の手入れくらいだ。

 4月22日、玄関前のプランターにサフィニアの苗を植えた。以前に植え付けた花々は、満開になっている。新型コロナの蔓延とは全く無関係に咲き誇っている。

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竹の径

 新型コロナウイルスによる感染が依然として広がり続けている。16日には緊急事態宣言の対象区域が全国に拡大された。収束の見通しが全くたたないままだ。その事が、人々の不安感を増幅させている。
 感染症の専門家は、ワクチンが開発されていない現在、感染の広がりを食い止めるには、人と人との接触をできる限り避けることが重要だと言及している。なるほどと思う。しかも、通常の8割以上それを避けないと、劇的な収束が期待できないらしい。
 巷では、不要不急の外出を控えるよう呼びかけられている。要するに、できる限り「家にいよう」ということだ。
 だから私も、それを実践している。食料品を買い求める以外、ほとんど自宅での生活を送っている。一方、それが仕事上できない、医療・介護福祉・保育・物流などに携わる人々の事を思うと、本当に頭が下がる思いだ。

 16日、家の中ばかりで生活していると体力も衰えるしストレスも溜まるので、妻と一緒に散歩に出かけた。
 自宅のすぐ裏が丘陵になっていて、竹林が広がっている。その中を通る道が「竹の径」として整備されている。そこをゆっくりと散歩した。

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 「竹の径」の周辺は、筍の特産地になっていて、随所に筍が生えていた。
 つい先日には、テニス仲間の友人から、朝掘りの筍を貰った。その日のうちに湯がき、翌日、筍づくしの料理を堪能した。柔らかくて美味かった。さすが、本場の筍は違うと思った。

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 この日の散歩の歩数は、7,904歩だった。自宅に戻ったら疲れて、また、昼寝をしてしまった。

2020年 春 桜

 新型コロナウイルスの感染者数は世界的規模で増加の一途をたどっている。医療崩壊を起こしたイタリアやスペインなどの映像を見ると、恐怖心すら覚える。
 日本も東京を中心に感染者数が急激に増加してきている。私の近隣の府県や市でも感染者が増えてきており、「対岸の火事」と傍観していられない事態となっている。
 では、ワクチンが開発されていない今、自分達にできることは何なのかというと、3つの密(密閉・密集・密接)を避けることらしい。一言で言えば、感染につながるような事は、「自粛しろ」ということになる。英語で簡潔に言えば、
Stay at home ! ということになるようだ。
 そのように政府や自治体やメディアから呼びかけられているので、それを守って、このところほとんど家の中で生活を続けてきた。しかし、いつ収束するのか先を見通せないので、自粛疲れを起こしてきた。
 そこで、できるだけ感染のリスクを避けるようにして 、今年の桜を見に、散歩を兼ねて近くの神社に行って来た。
 桜は八分咲き程度だった。さすがに人数はまばらだった。

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 拝殿前で拝礼し、新型コロナの感染の収束(終息)を祈願した。科学の発達していなかった昔の人々は、疫病が流行るたびに神仏に祈りを捧げたんだろうなあと思った。
 こんな社会状況の中で、簡素な花見をしたことは、後々記憶に残ることだろう。

洛陽三十三所観音霊場巡礼(1・2・3・4・32番)

 このところの1カ月以上の日々、ほぼ、ひきこもりのような生活を送っていた。
 一番の原因は、テニスによる腰痛だ。幸い骨には異常がなかったのだが、腰骨付近の筋肉や筋を痛めたらしくて痛みが酷く、最初は立ったり座ったりもままならなかった。以前膝関節を痛めた時にも思ったのだが、普通に歩いたりできるのがどれほどありがたいことかということを痛感する日々だった。
 そこに畳みかけるようにして広がったのが、新型コロナウイルスだ。近隣の市に感染者が出ると、怖くて電車に乗ることも躊躇するようになってしまった。
 そうなると気分が落ち込み、ひきこもりのような生活に陥ってしまったという訳だ。最近になって腰痛がましになってきたこともあって、(これではいけない。気持ちを外に向けなくては・・・)と思い始め、洛陽三十三所観音霊場巡礼に出かけることにした。これなら腰痛のリハビリにもなるし、新型コロナウイルスに感染するリスクも少ないと思った。

 洛陽三十三所観音霊場巡礼は、後白河天皇が、広域で巡礼が困難な西国三十三所巡礼に代わるものとして、平安時代末期に定めたのが起源だと言われている。京都市内の寺なので、巡礼がしやすい。西国三十三所巡礼の寺と、いくつかの寺巡りが重複している。
 3月21日、第1番札所になっている六角堂 頂法寺に行き、納経帳を買い求め、洛陽三十三所観音霊場巡礼を始めた。

【第1番札所 六角堂 頂法寺】
 場所は、烏丸通六角東入。本尊は如意輪観音菩薩。

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 この寺には、何度も訪れている。正式な名前は頂法寺だが、本堂の屋根が六角形なので、通称、六角堂と呼ばれている。

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 境内は、既に春の様相を呈していた。

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 境内の片隅に、「一言願い地蔵」というお地蔵さんが安置されていた。祈れば、一つだけ願いを叶えてくれるらしい。静かに掌を合わせ祈った。

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【第2番札所 新京極 誓願寺】
 場所は、中京区新京極通三条下る桜之町。菩薩像は本堂の脇壇にある。名称は、十一面観音菩薩。
 新京極通に面しているので、この寺の前を、これまで何十回と往来したが、一度もお参りしたことがなかった。ちょうど法要の最中で、堂内に僧侶の読経が響き渡っていた。

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 納経帳に記帳してくれたのは、二十代とおぼしき若い女性だった。その女性の筆に気品があって気に入った。

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【第32番札所 蘆山寺】
 場所は、上京区寺町通広小路上る。本尊は如意輪観音菩薩。
 
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 紫式部邸宅址と言われている。
 ちょうど明智光秀の念持仏の特別公開がされていたので、それを拝観してきた。たぶんNHKの大河ドラマとタイアップしての展示であろう。
 静かな境内だった。

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【第3番札所 清荒神 護浄院】
 場所は、上京区荒神口通寺町東入荒神町。観音堂には、准胝観音菩薩が奉祀されていた。訪れたのが閉門時間の午後4時前だったこともあってか、他に参拝者はいなかった。住職の奥さんと思われる人に記帳してもらった。

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【第4番札所 革堂 行願寺】
 場所は、中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町。本尊は千手観音菩薩。本堂と鐘楼は、京都市指定文化財となっている。
 以前、西国三十三所巡礼で訪れた時は、白装束の団体がいてすぐ記帳してもらえなかったのだが、今回は、新型コロナの影響か団体の参拝者はおらず、すぐお参りができた。

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 久しぶりによく歩いた。スマホのアプリで見たら、17,024歩だった。
 テニスの方も、近々再開したいと思っているところだ。

老いの自覚

 古希を過ぎると、精神的なものも左右しているのかもしれないが、さすがに老いを自覚することが多くなってきた。

 朝起きて階段を降りる時、膝関節が固まってしまっていて、痛みを感じるようになった。また、肩の関節もやられているみたいで、腕を高く挙げると痛みが走るようになった。軟骨が摩耗してきているのかなあと考え、サプリメントを飲んでみたりしたが、長続きしなかった。
 老眼が進み眼鏡が合わなくなったので、先日、レンズを買い替えた。現在、近視・乱視・老眼が混ざった状態で眼鏡を使用している。小さな文字を読むのが苦痛になってしまった。
 脳の老化も進んできているようだ。映像が頭の中で思い浮かんでいるのに、人や物の名前が出てこないことが度々ある。昨夜の夕食で食べた物を、翌朝、全部は思い出せないことだってある。脳トレのゲームをやったりしているが、結果は、それなりの脳年齢になっている。

 しかし、よくよく考えてみれば、これらの現象は、加齢に伴って起こる、ごくごく当たり前のことだ。遅かれ早かれ、誰もが辿る道だ。

 膝や肩の関節が痛いと言っても、杖や車椅子を使用せず、普通に歩行ができている。それどころか、まだテニスの試合を楽しむことだってできている。自分なりに凄いことだと、時々思ったりしている。
 老眼にしても当たり前のことで、歩行困難になっているわけではない。今のところ、加齢黄斑変性とか白内障になっていないことを喜ぶべきだ。
 脳の老化が進んできていることは認めざるをえなし、今後、能力を発揮して何がしかを成し遂げるというのは難しいような気がしている。しかし、認知症と診断されているわけではないし、平凡だが通常の生活を送ることができている。その事を、ありがたいと思わなくてはいけないと思ったりする。

 以前にも書いたことだが、穏やかに老いて行けたらなあと願わずにはいられない。

2020年 初詣「薬師寺」

 昨年の大晦日、NHKの「ゆく年くる年」を観ていたら、薬師寺からの生中継があった。東塔の補修工事が終わり、4月の落慶法要を待つばかりになっていることを知った。そこで、今年の初詣は、薬師寺に行くことに決めた。
 薬師寺にはこれまで何回も行ったことがあるのだが、直近では、2017年1月に訪れたことを、自分のブログを検索して思い出した。その時はまだ東塔の補修工事中で、東塔全体がフェンスで覆われていて見えなかった。今回はその東塔が見られると知って嬉しかった。
 近鉄西ノ京駅で下車し、北受付から薬師寺の境内に入った。大講堂の彌勒三尊像を参拝した後、金堂に行った。ここには、有名な薬師三尊像が安置されていた。中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩が安置されている。白鳳時代を象徴する仏像で、芸術的にも傑作だと感じた。心身の病を救ってくださる仏様なので、賽銭も奮発し、しっかりと掌を合わせて祈った。

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 東院堂にも行き、三年前のブログのコメントでじいじさんに教えてもらった聖観世音菩薩像を拝んだ。崇高で繊細な美しさがあると思った。
 その後、境内をゆっくりと散策しながら、修復の済んだ東塔を眺めたりした。境内に東塔と西塔とが並び建つと、実に絵になる。日本の木造建築の技術は、驚愕に値すると思わざるを得ない。

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 玄奘三蔵院伽藍にも行った。ちょうど5日が玄奘縁日の日で、複数の僧侶による読経が、境内に響き渡っていた。
 帰り際、薬師寺で、新しいご朱印帳を買った。これまでのご朱印帳は、西国三十三所巡りのご朱印でいっぱいになっていたからだ。薬師寺のご朱印に参拝した日付(1月5日)を書き入れてもらった。

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 これからも社寺巡りを続け、ご朱印を増やして行くつもりではいるが、観光気分が強いためなのか、いつまで経っても悟りの境地に近づくことができていない。しかし、それでも生きる意欲に繋がるだろうと考え、足腰が丈夫な限り、今後も社寺巡りを続けようと思っている。
 薬師寺の参拝の後、奈良まで行き、興福寺にも行ったが、詳細は割愛する。
 予想以上に寒い一日だった。トータルで1万6千歩ほど歩いた。いつものことながら疲れ切ってしまった。

 蛇足のような話ではあるが、帰りの電車の中で、デジカメで撮った写真を整理していた。不要と判断した写真を一枚ずつ削除していた。そのうち眠くなってきたのだが、作業を続けていたところ、削除ボタンを押した後、「この一枚を削除する」を選択すべきだったのだが、「すべて」を選択してしまったみたいで、最終確認で「削除していいですか」と聞いてきているのに、OKボタンを押してしまっていた。一瞬のうちに、これまで撮り溜めて来た何百枚かの写真が消えてしまった。それに驚いて目が覚めたのだが、「時すでに遅し」だった。
 脳裏に、「覆水盆に返らず」「水泡に帰す」「後悔先に立たず」といった言葉が浮かぶばかりで、全くなす術がなかった。
 そのような訳で、今回のブログに載せた写真は、全てスマホのカメラで撮ったものだ。

目出度さも 中くらいなり・・・

 新年を迎えた。しかし、これといった感慨があるわけではない。ましてや新年の抱負などあろうはずがない。
 小林一茶の俳句に、「目出度さも 中くらいなり おらが春」というのがある。この句にある「中くらい」には、「あやふや」とか「いい加減」といった意味があるようだ。この句が、今の私の心境にしっくりと合う。
 また、一休宗純の狂歌に、「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というのがある。歳をとるにつれ、だんだんそんな心境になるんだろうなあと、共感するところがある。
 ここまで書くと、悲観的な心境になっていると思われがちだが、そうでもない。平凡だが、大病をすることなく新年を迎えられたことを嬉しく思っている。まあ、坦々とした日々を送る中で、些細な喜びを見つけて生きて行きたいと思っているところだ。

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 つい先日、近くの花屋でシクラメンを買った。冬の定番の花だが、玄関先が明るくなった感じがして嬉しい。また、わずか2日だが、東京で暮らしている息子が帰って来てくれるのが嬉しい。


2019年 年の瀬

 毎年のことだが、年の瀬になると、今年中にしておかなくてはいけないという焦りにも似た気持ちが働いて、いくつかの些事をこなした。その些事をいくつか羅列してみた。


 夏から秋にかけて放置したままになっていた我が家の小さな庭の掃除をした。最初の日は、腰丈くらいまで伸びた雑草を抜くことから始めた。大きなごみ袋に3袋ほどの雑草だった。
 ヤマボウシの木が大きくなり過ぎて隣家に迷惑をかける状態になっていたので、太い枝を思い切って鋸で切り落とした。寒い中での作業は、やはりしんどかった。
 一日では庭掃除ができなくて、後日、地面に落ちた枯れ葉を竹ぼうきを使って掃除したり、小さな雑草を手で抜いたりした。またまた、大きなごみ袋で3袋ほどの量になった。
 掃除が済んだら、すっきりとした気分になった。今、きれいになった庭に、山茶花の花が咲き、南天が赤い実を付けている。

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 玄関前の花々も植え替えた。ビオラ・スミレ・ジュリアン・ガーデンシクラメンなど。毎年ほとんど変わらない種類なので、今回は、寄せ植えの写真だけを載せておく。

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 免罪符みたいで恥ずかしいのだが、郵便局に行って、ユニセフの募金を振り込んだ。毎年の年末、ユニセフと国境なき医師団とに、交互に募金をしている。今の私には、その程度の社会貢献しかできない。

 年賀状の作成に取り組んでいる。妻と合わせて140枚程度。ちょっと早いように思うのだが、PCやプリンターが正常に稼働するか不安があるので、早目に作成することにした。
 ほとんどが年賀状だけの儀礼的な付き合いになってきているので、出す枚数を減らそうとしているのだが、先方からは年賀状が届いたりするので、なかなか枚数が減らない。
 年賀状を作成しながら、このところ音信不通になっている古くからの友人の安否が気になっている。


 今年、私は古希を迎えた。古稀とも書く。杜甫の漢詩にある「人生七十古来稀なり」から、数え年七十歳を祝うようになったらしい。昔と今では平均寿命が延びているから一概に判断することはできないのだが、我ながら凄い歳になったなあと思ったりすることがある。以前は想像だにしなかった年齢に自分がなっていることに愕然とする。
 2019年の年の瀬に、来年はどんな年になるんだろうと、茫漠とした不安を抱いたりする。期待するものはほとんどないが、平穏な日々であってほしいと願わずにはいられない。



2019年 秋(圓光寺・詩仙堂・金福寺)

 とにかく一番見たのは観光客だった。とりわけ叡山電鉄の出町柳駅は、観光客で溢れ返っていた。そんなことは、この日(23日)が、晴天の祭日で紅葉の見頃だったのでわかりきっていたのだが、やはり今年も紅葉を見たいという衝動にかられ、妻と一緒に出かけることにした。
 さて、何処に行くかで相当迷った。紅葉で有名な所はほとんど行ったので思案していたのだが、妻がWebページで見つけた圓光寺のお地蔵さんが見たいと言ったので、昨年と同様の方面になった。ちなみに、昨年は、私一人だった。
 一乗寺駅で下車し、徒歩で圓光寺に向かった。

【圓光寺】
 寺の前には、観光客の行列ができていて、しばらく待たないと境内に入れなかった。
 圓光寺は、臨済宗南禅寺派の寺。開基は徳川家康。
 庭園内のもみじの葉は、緑・黄・橙・赤のグラデーションになっていて、いい感じの紅葉だった。

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 一番の目的のお地蔵さんは、庭園の苔むした所にあった。予想以上に小さくて、うっかりすると見落としてしまいそうなほどだった。苔と散りもみじとお地蔵さんとがマッチしていて、情緒があった。

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【詩仙堂】
 ここには昨年も行ったので、詳細は割愛する。写真一枚だけを掲載しておく。

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【金福寺】
 金福寺(こんぷくじ)の境内には、芭蕉庵と呼ばれる草庵があった。 

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 芭蕉ゆかりの寺で、ここで芭蕉が詠んだとされる「憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥」いう句が残っている。その後、荒廃していた芭蕉庵を再興したのが、芭蕉を敬慕していた同じ俳人で画家でもあった与謝蕪村だ。蕪村が当寺で詠んだ句として、「耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵」がある。境内には、与謝蕪村の墓もあった。
 蕪村の詠んだ句として以前から知っていたのは、「菜の花や 月は東に 日は西に」と「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」くらいだ。その程度の知識しかない自分を無学だなあと思った。

 金福寺を出る頃には、もう日が暮れかかっていた。また、満員の叡山電鉄に乗って帰路についた。

無線ルーターの故障

 過日、無線ルーターが突然故障してしまった。妻がiPadを使っていて「インターネットができないよ」と訴えた。その時は、以前にも同様のことがあったので、(また電源を切って再起動させたら復旧するだろう)と、気楽に考えていた。ところが今回は、何度再起動を試みても無線ルーターのランプが全点灯せず、復旧させることができなかった。焦った。
 無線ルーターが故障したら、様々なことができなくなってしまった。当たり前だが、ノートPCを使ってWebサイトに接続できないし、メールの送受信もできない。ブログを書くこともできない。また、iPadを使ってYouTubeなどを見たりすることもできない。さらには、スマホのWi-Fi機能を利用することもできないし、テレビと接続してある光ボックスも使えない。中でも一番困ったのは、近年頻繁にネットを通してコンサートのチケットを取ったり買い物をしたりしていたのだが、それができなくなってしまったことだ。
 さて、どう対処したかというと、無線ルーターを新しい物に買い替えた。

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 当初、IT関係に詳しい娘婿にLINEを使って尋ねたり、以前世話になったパソコンスクールのインストラクターに尋ねたりしたのだが、原因がはっきりわからず、結局、無線ルーターの故障と自己判断し、家電量販店に新しい物を買いに行った。インターネットに接続できない原因がはっきりしなかったことや早急にインターネットに接続したかったこともあって、無線ルーターの設定を店所属の専門業者に依頼した。それでも不具合があって、2回も自宅に来てもらった。
 新しい無線ルーターの電波には、5GHzと2.4GHzの2種類があった。建物の構造上、後者を選択して接続した。無線ルーターは二階の書斎に設置してあるのだが、一階の居間でもインターネットに接続できることが確認できた。無線に関して門外漢の私には、遮蔽物が沢山あるのに、なぜ二階の電波が一階まで届くのか、さっぱりわからない。
 再びインターネットに接続できるようになって、一安心することができた。しかし、また故障するのではないかという不安がどこかにあって、ちょっとこわごわとした気持ちを抱きながら様々な機器を使っている。
 今回のことで、インターネットにどっぷりと依存した生活を送っていることを改めて痛感した。

比叡山延暦寺

 今年8月に高野山金剛峯寺に行って来た。そこと対照的に取り上げられるのは、比叡山延暦寺だ。中学生の頃、「空海が高野山に金剛峯寺を建て真言宗を開き、最澄が比叡山に延暦寺を建て天台宗を開いた」と、一生懸命覚えた記憶がある。(内容が伴わない単なる記憶力に頼った学習だったのだが・・・)
 その比叡山延暦寺に10月16日に行って来た。京都に住んでいたら近場にあるのだが、これまで一度も行ったことがなかった。比叡山延暦寺は修行の場という意識が強く、観光地としての意識が薄かったからかもしれない。
 滋賀県のJR坂本比叡山口駅で下車し、バスに乗り換え、終点のケーブル坂本駅で降りる。そこで日本一距離の長いケーブルカーに11分ほど乗るとケーブル延暦寺駅に着く。そこからの眼下に琵琶湖の見える眺望が素晴らしかった。

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 10分ほど山道を歩くと、延暦寺の入口に到着した。
 延暦寺は、東塔(とうどう)地域・西塔(さいとう)地域・横川(よかわ)地域の三つの地域に分かれていてかなり広い。今回は時間的制約もあって、東塔地域だけの参拝となった。
 最初に、総本堂である根本中堂に行った。ここは大規模な修復工事中で、建物全体が工事用の屋根で覆われていた。しかし、本堂内には入ることができた。屋根の葺き替え工事が中心のようだった。

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 その後 、鐘楼で鐘を突いた。山中に鐘の音が響き渡った。

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 それから、大講堂・阿弥陀堂・東塔の順に参拝した。

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 境内を歩きながら、比叡山延暦寺にまつわる歴史に思いを馳せた。
 時を遡ること平安時代末期、権勢を振るった白河法皇が、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話が『平家物語』に載っている。このくだりの「山法師」こそ比叡山の僧兵のことだ。当時、僧兵達は、利権を守るために神輿を担いで街中に繰り出し、強訴を繰り返したらしい。仏に仕える身でありながら、俗世間の権力闘争に与していたのだなあと思った。
 また、織田信長による比叡山焼き討ち(1571年)も、歴史上では有名な出来事だ。信長の無慈悲な虐殺が世間に広まったのだが、見方を変えれば、比叡山延暦寺は、広大な寺領や経済力を持ち、多くの僧兵を抱え、軍事拠点となっていたことが、信長の逆鱗に触れたのかもしれない。

 そんな事を思い返しながら境内を歩いているうちに夕方になったので、帰路に就いた。今回も一万歩以上歩いた。健康の維持にはいいのかもしれない。

秋桜(コスモス)

 「秋桜」をそのまま読めば「アキザクラ」で正しいのだが、さだまさしが作詞・作曲し、山口百恵が歌ってヒットした『秋桜』を、文学的表現として「コスモス」という読みにしたため、そう読むのが一般的になったらしい。
 そのコスモスの苗を、先日、プランターに植え付けた。玄関先にはまだ、夏の花であるアサガオやランタナなどが咲き残っていたのだが、コスモスを植え付けたことで、ちょっと季節が進み、秋の気分になることができた。
 秋に咲く花には、コスモス以外に、リンドウ・ケイトウ・キク・ハギなどがあるが、私はやはり、コスモスが一番好きだ。コスモスの花が秋風に揺れているのを見ると、心が和むような気がする。
 老健に入所している93歳になる義母が、コスモス畑を見に行けないことになったので、我が家のプランターに植えたコスモスの写真を、プリントアウトしてあげることにした。

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 コスモスの花を見ると、やはり『ひとつの花』という児童文学作品を思い出さずにはいられない。確か小学校4年生の教科書に載っていたかと思う。戦時中の物資が乏しかった時代を舞台にした作品。
 「ひとつだけちょうだい」が口癖になってしまった幼いゆみ子に、お父さんが、「ひとつだけのお花 大事にするんだよ」と言って一輪のコスモスの花を手渡し、出征していくというお話だ。
 この作品の中に出てくるお父さんのゆみ子に対する心情を読み取ってもらいたいと熱心に教材研究をし、授業をしたことが今でも思い出される。
 そんな時代も遠い昔になったなあと思わずにはいられない。

ケ・セラ・セラ

 「ケ・セラ・セラ」の意味だが、「なるようになる」と訳されている。
 1956年のアメリカ映画で、ドリス・デイ主演、ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」の主題歌だ。
 その歌を「風のようにうたが流れていた」という音楽特番の中で、小田和正と和田唱が、ギターを弾きながら聴衆と一緒に歌っていた。それが心に染みて、(うん、そうだ。そう生きなくちゃ!)と思ったりしている。
 そう思う訳は、現実には、なかなか「ケ・セラ・セラ」とはいかないからだ。たびたび煩悩に苛まれているし、性格も影響して、様々なことが不安になったりしている。
 だから、
 ♫ ケ・セラ・セラ なるようになる 未来(さき)のことなど わからない ♫ と歌って、自分を鼓舞している。

布引ハーブ園

 二十四節気の一つである処暑も過ぎ、だいぶ暑さが和らいだなあと感じるようになってきた。今年の夏も終わりだなあと思ったりしている。
 24日、特に予定も入っていなかったので、ふと思い立って、久々に神戸方面に出かけた。
 神戸三宮駅で下車し、地下街を歩いた。娘が神戸の大学に行っていた頃には度々ここに来ていたのだが、その時見つけた喫茶店に入った。そこで温野菜入りビーフカレーのセットを注文して食べた。予想以上に美味しかった。
 その後地下鉄で新神戸駅まで移動。そこに隣接しているロープウェイに乗って布引ハーブ園に行って来た。
 ロープウェイに乗ると神戸市街を一望することができた。1995年に起きた阪神・淡路大震災以降、よくここまで復興したなあとの感慨を抱いた。

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 ハーブ園山頂駅でロープウェイを降り、展望プラザで写真を撮ったりした。全体的に西欧風の雰囲気が漂っていた。ベンチに座り休憩していたら、聴いたことのある癒し系のクラシック音楽が流れていた。そのタイトルが思い出せなくて気になった。後で調べたら、パッヘルベルの「カノン」だとわかった。

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 展望エリアの奥には「香りの資料館」があった。そこで約80種のエッセンシャルオイルの香りを比べることができた。

 建物の外には百合の花が咲いていた。

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 雨が降りそうな天気になってきたので、風の丘中間駅に向かってハーブガーデンの中の道を歩いた。様々なハーブが植えられていたが、ほとんど名前を知らなかった。知っているのは、レモンバームとラベンダーくらいだった。時々鼻を近づけ香りを嗅いだ。
 かなり急な下り坂だったので歩きにくかった。後でスマホに入れてあるアプリの歩数計を見たら1万歩を超えていた。

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 帰宅したら、疲れてまたうたた寝をしてしまった。老いの進行を感じることの多い日々だ。

高野山

 連日の猛暑と巷の喧騒を一時的にでも避けたい気持ちもあって、8月8日、高野山に行って来た。1200年以上前、弘法大師(空海)が開基した真言密教の聖地だ。世界文化遺産にも登録されている。

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 朝7時過ぎの阪急電車に乗車し、大阪方面に向かった。通勤時間帯と重なり、車内はすごく混んでいた。大阪梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換えても、いっぱいの乗客で座れなかった。現役で通勤している人達は大変だなあと改めて思った。サンデー毎日の暮らしを続けている私には耐え難いことだ。
 難波駅で南海高野線の特急に乗り換えたら、ようやく旅行気分になることができた。終点の極楽橋駅まで乗車。そこから高野山ケーブルに乗り、高野山駅に着いたのは10時過ぎだった。そこからバスに乗り、いきなり奥の院に行くことにした。事前に「高野山1dayチケット」を購入しておいたので、切符や小銭を用意する手間が省けて助かった。

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 「奥の院口」でバスを降り、そこから奥の院に向かう石畳の参道を歩いた。延々と続く約2kmの参道。その両側には20万基以上の墓碑や供養塔が立ち並んでいた。その中には、著名人や戦国武将や大名の墓などもあった。また杉の巨木が林立していて、悠久の歴史を感じることができた。

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 昔、息子が高校生だった時、夏の合宿が高野山であって、夜にこの奥の院の参道を歩かされたらしい。さすがに夜ここを歩いたら怖いだろうなあと想像した。
 神秘的な雰囲気の漂う参道の一番奥に、弘法大師御廟があった。手前の御廟橋を渡ったら聖域で、写真撮影も禁止。堂内では2万基以上の献燈が輝き、僧侶の読経が響き渡っていた。そこで護摩木に願い事を書き奉納した。静かに合掌した。
 奥の院の参拝をした後、御朱印を押してもらった。これで御朱印帳が、より充実したものになった。

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 奥の院前のバス停まで歩いた。そこからまたバスに乗車し、「千手院橋」で下車した。その近くにある食堂で遅い昼食を摂った。高野山が世界文化遺産になっているせいか客に外国人観光客も多く、店員が英語で接客していた。
 昼食の後、金剛峯寺に行った。言わずと知れた真言宗の総本山だ。真言宗の寺は、全国に3600寺ほどあるそうだ。高野山だけでも117の寺があるらしい。主殿の大広間の襖絵などを観て回った。また、別殿にある蟠龍庭という石庭も拝観した。

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 その後、壇上伽藍のお参りをした。伽藍とは、「僧侶が集い修行をする清浄な場所」という意味があるらしい。金堂や根本大塔の内部を観ることができた。根本大塔の外観は一部修復中でちょっと残念だったが、内部の大日如来像などを拝観することができた。

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 その他、霊宝館や大門に行ったりしたが、省略する。
 とにかく広い高野山を頑張って歩いた。自宅に帰ってスマホに入れてある歩数計のアプリを見たら2万1千歩ほどだった。